しい風と同じ風が。古い昔ながらの漁港や農村も、思いきって運営の方法を根本的に変える時期に来ているのではないかね。別に変ったことではないのさ。つまり鯨の会社のように会社にして、月給制度にするだけのことさ。
 とにかく、この東北の旅行で、私の特に印象的だったのは、子供たちが自動車にすら敵意を見せるような半島のドンヅマリへきて、このへんで何処より明るい唯一の町を見たという意外さだった。東北の人々はあるいは云うかも知れない。それは鯨が金になるからだと。しかし去年は例年の半分という漁獲不足だったではないか。それでも結構明るいのは、やっぱり漁港全体の運営が近代的のせいだと見る私がまちがっているのであろうか。鮎川の明るさや町全体の整頓にはローカルなものはない。それで結構だ。明るく整頓して皆が楽しく暮せるようになるために、ローカルなものを失ったってちッとも損ではないのである。石巻音頭なんてものは亡びたって構うもんか。不漁のたびに漁師が苦しむようなことが次第になくなるような設計の方が大切なのさ。



底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二九巻第七号」
   1951(昭和26)年5月1日発行
初出:「文藝春秋 第二九巻第七号」
   1951(昭和26)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年12月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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