教国と宗教ぬきで貿易できる見究めが立たなければ、にわかに切支丹を国禁しなかったであろう。政宗にはそのような用意や研究は何もなかったようだ。彼は当時のオランダと旧教国が国交断絶、敵対関係にある事情についても正しい認識がなかった。そしてその手落ちによって、つまり彼がエスパニヤ国王に提出した条件中にオランダとの断交を確約する文章がなかったために、彼の最も希望する新エスパニヤ(今のメキシコ)との通商は拒否せられてしまった。支倉がまた輪をかけた能なしで、アチラの事情に即応して主人の手落ちを自分の一存で修正し主人の熱望する通商条約をまとめるだけのユーズーがきかなかった。
 政宗の本心は宗教をダシに新エスパニヤと貿易したいことだった。一方、紹介役のソテロは、日本の布教がイエズス会に牛耳られているのが不満で、自己の所属するフランシスコ会にも司教をおかせ、自分が司教になりたい考えであった。両者の希望は食い違っているが、田舎策師の政宗も、日本渡来のバテレン中で最大の策師たるソテロも、それは充分心得ていたであろう。要するに両者の希望は別々でも、相助け合って両者の希望を実現すれば足るのである。幕府がソテロの口車にのって動く見込みがないからソテロとしては田舎豪傑の政宗でやってみる以外に手がなかったかも知れないが、そうカンタンに外国がだませるツモリの政宗が、つまり田舎豪傑であったのである。
 彼の本心は、支倉一行が出発しないうちから、すでにイエズス会に見破られていた。司教のセルケイラはイエズス会総長に宛てて、政宗の本心はヤソ教ではなくて、通商であり、彼の領地へフランシスコ会の僧が続々くるようになると、家康の怒りをかって政宗は滅亡するだろう、と手紙している。一行の出発前のことである。この予言はまさに図星であったろう。後手専門の田舎豪傑は二三年たってそれにようやく思い当ったのである。家康が長い年月苦心した日本統治対切支丹、日本統治対海外貿易という難問題は、その結論が家康の断となって表明されるまで、田舎豪傑には分らなかったのである。しかしバテレンたちには分っていた。家康のみならず、信長、秀吉、家康三代にわたる日本統治者に共通の悩みであったのだ。秀吉は切支丹の布教を外国の日本侵略の第一段階と速断したが、保守家の家康は自身に侵略精神が稀薄であるから布教を侵略と速断するような軽率なところはなかった。彼は実
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