けであったが、煮つけの肉は牛肉のコマギレと云ったって気がつかずに食ってしまう人が主だろう。スノコのカンヅメも特にクジラと云われないと、牛と豚のアイノコ、ハムの大和煮(そんな変なのはないだろうけどね)みたいな、ちょッといける物じゃないかと思う程度に食える。一番うまいのはヒレに近い尾の方の肉、ここがサシミで食うところだそうだ。
 鮎川の町を案内してくれたのは、鮎川町の警察署長さん。ここまでくると、署長さんもノンキだね。バスが一日にたッた一ッぺん通るだけだもの、犯罪なんて有りやしない。実際バスが一日にたッた一ッペン通るだけですよ。だから牡鹿半島の子供は、自動車というものになれていませんね。私たちのタクシーが通ると、道の子供、七ツ八ツの女の子がベロをだしたり、何か汚らしく喚いたりする。その憎々しげな表情から、呪咀の言葉をわめきちらしているのだろうと想像できる。また、男の子は、石をぶつける者が多い。二十五六年前に中部山岳地帯へ行くとこんなことがあったりしたが、今は牡鹿半島ぐらいのものだろうね。
 私たちのタクシーは、故障を起してひどい目に合った。石巻にタクシーは二台しかない。クッションはボロボロで腰かけるのが気持がわるいような車だが、それでも二台のうちでは良い方の車なのである。往路では月の浦の上で四十分間故障。復路では山林中でシャフトが折れて三時間立往生。幸い代りのシャフトを用意していたから(チョイ/\故障やるから用意は万全だ)どうにかシャフトをつけ代えたが、新しいシャフトがちょッと長すぎるのである。そこでシッカリはまらないのだ。ようやく三時間目に動きだしたが、カーブにかかると、ギギギギーと音がして車輪が外れる。ちょッと動くと、また外れる。なんべん外れたッけねえ。泣きましたよ。夜になって救援の自動車がきてくれたが、この方はもっとボロボロの車で、窓のガラスに板をクギでうちつけてあるという古世代的な怪物。石巻のタクシーはこの二台しかないのである。往復に前後八時間ちかく自動車に乗っていたが、すれちがった自動車が一日中に三台しかないのだ。一台は赤いユービン車。次は材木をつんだトラック。次にバス。このバスの車掌に鮎川へつき次第石巻へレンラクして救援車をさしむける手配をたのんだのである。こう自動車が通らないのは、交通安全で結構だが、時に甚しく心細いね。自動車が珍しいのだから、また高いや。
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