品十円か二十円、最大の豪華な皿や鍋でも三十円ぐらいのものだろう。安いッたッて、料理の品目はなんでも出来らア。タイのチリ鍋でもアンコウ鍋でも鳥ナベビフテキ何でもあらア。ちゃんとそれぞれ見分けがつくのだなア。食べる物には限度があっても、酒とビールはキリのはッきりしない物だからずいぶん飲んだはずだが、三千四百円には恐れ入った。チャンと入湯もできるし、二ノ間もついているのですね。実に裏町の大豪遊でありました。
戦後の日本では、たとえば銀座の一流店と場末の裏店と飲食の値段が殆ど変らないというのが一ツの特殊現象であった。六年たって表通りと裏通りの値段のヒラキは次第に大きくなりはしたが、大阪のジャンジャン横丁界隈の如きものは天下の特例であろう。もっとも、病気を貰えば、けっこう高くつくか。しかし、いかな私もここのパンパンやオカマと遊ぶ勇気はなかった。
大阪の新開拓者、檀一雄先生、すすんで案内役を志し、いそがしい仕事をほッたらかして、東海道を駈けつける。彼はジャンジャン横丁で私のドギモをぬくコンタンであったらしいが、私の方は彼の到着以前に、ジャンジャン横丁どころか、その界隈の裏通りの旅館に一泊してい
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