いないのは、女給の下宿で、つまりモグリのパンパン宿であるという。辻々から軒並にたむろしているポンビキのオバサン連はそのへんへ連れこむもののようである。国際マーケット、飛田遊廓、山王町、ジャンジャン横丁、その全部の周辺、サテモ、集りも集ったり、誰に隠すこともなく、これ見よがしの淫売風景大陳列場。上野の杜とちがって、飲食店であり旅館であるから、逃げ隠れのコソコソという風情はない。飲食店の裏は全部旅館、時々産院で、その直結する用途は一目リョウゼンであり、ひしめく人間は彼女自身でなければポンビキであって、露骨そのものでもあるが、簡にして要を得ているな。そして又、人間がゴッタ返しているよ。
 私はこの裏側の旅館へ一泊半したのである。さすがに裏側のうちでも最もしかるべき旅館であった。夜半をすぎるまで大いに飲み、翌朝また盛大な御馳走を卓上にひろげて大飲食し、この豪遊の大勘定がたった三千四百円でしたよ。つまりこの旅館では料理をつくらずジャンジャン横丁かそれに類する所から料理をとりよせるのである。自分のウチで料理をつくれば高くつくにきまっているから、そういうムダはしないのである。したがって出前の料理は一品十円か二十円、最大の豪華な皿や鍋でも三十円ぐらいのものだろう。安いッたッて、料理の品目はなんでも出来らア。タイのチリ鍋でもアンコウ鍋でも鳥ナベビフテキ何でもあらア。ちゃんとそれぞれ見分けがつくのだなア。食べる物には限度があっても、酒とビールはキリのはッきりしない物だからずいぶん飲んだはずだが、三千四百円には恐れ入った。チャンと入湯もできるし、二ノ間もついているのですね。実に裏町の大豪遊でありました。
 戦後の日本では、たとえば銀座の一流店と場末の裏店と飲食の値段が殆ど変らないというのが一ツの特殊現象であった。六年たって表通りと裏通りの値段のヒラキは次第に大きくなりはしたが、大阪のジャンジャン横丁界隈の如きものは天下の特例であろう。もっとも、病気を貰えば、けっこう高くつくか。しかし、いかな私もここのパンパンやオカマと遊ぶ勇気はなかった。
 大阪の新開拓者、檀一雄先生、すすんで案内役を志し、いそがしい仕事をほッたらかして、東海道を駈けつける。彼はジャンジャン横丁で私のドギモをぬくコンタンであったらしいが、私の方は彼の到着以前に、ジャンジャン横丁どころか、その界隈の裏通りの旅館に一泊していたのである。この裏町の旅館街は檀先生もさすがに足跡いまだ到らざる魔境で、巷談師の怖れを知らぬ脚力には茫然たる御様子であった。

          ★

 一泊半の暗黒街を除いて、私たちは京家という旅館に泊っていた。雀右衛門夫人の経営するところで、大阪では一流中の一流旅館だそうである。
 私は大阪は全然知らないし、文藝春秋新社にも大阪通は一人もいない。案内役の徳田潤君は、東京の大通であるが、大阪は殆ど知らないのである。仕方がないから、読売新聞の大阪支社に万事たのんだところ、予約してくれた旅館が京家であった。大臣の泊るところで、現在の大阪ではツレコミ宿でない唯一の旅館だろうという物々しい話。巷談師には上等すぎたが、幽玄のオモムキ、面白くもあった。
 私が上京のたびに泊る小石川の「モミヂ」は今の東京では第一線の旅館なのだろう。毎晩玄関前へ集ってひしめいている高級自動車の数だけでも大変なものだ。もう一ツ「時雨亭」というのへ行ったこともある。これがまた「モミヂ」に輪をかけた大邸宅で、いずれも富豪の邸宅を戦後に旅館にしたものである。
 こと旅館に関する限り、東京と大阪はアベコベのようだ。江戸ッ子は保守的で渋好みであるが、そういう土地で幅をきかせそうな京家が、進歩的で、新しいもの、豪壮なものの好きな大阪で格式をもっているのは意外であった。もっとも旅館にツナガリをもつのは土地の人ではなくて旅行者だが、自他ともに許すには結局土地の性格が物を云うはずであろう。するとこういう保守的な一面も大阪にはあるのだろう。
 およそ京家には戦後の変化が見られないし、戦前のモダニズムにも関係がない。水道が出たり電燈がついたりするのがフシギなぐらいで、便所は水洗式ではなく、例の関西風にフタをのッけておくという式のものだ。庭なども二十坪ぐらいの採光用の空地といった方がよいようなものがあるだけだ。
 しかし、たった一ツ、時代を超越して飛びきり理にかなっているのは、ジャンジャン横丁界隈の旅館と同様に、京家でも朝食以外は出前のみで、料理人をおかないことだ。旅館としては、この方が本当だろう。旅行者は土地の名物が食べたいのだし、他に然るべき料亭のない温泉などとちがって、土地|名題《なだい》のウマイ物店がタクサンある大阪だもの、食べ物は客の好みにまかせ、専門の料理店にまかせるのが至当。さすがに大阪生ッ粋の旅館だけの
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