が、フシギな思いがするほどだ。見るからに平々凡々たる娘さんであり、平々凡々とどこへでも滑りこんでいるような感じは、この人たちの場合でも同様であった。
一番よい意味の家庭人という感じである。家庭人でありながら、そのままどこへでも気楽に滑りこめるし、どんなに専門的な仕事に従事していてもいつも立派にそして平凡に家庭人だというような、理窟ぬきでそうなっている自然さがあった。こういうお嬢さん方に会ってみると、あの大阪の盛り場の雑踏がよく分るね。大阪の盛り場は、とても東京では見ることのできない混雑である。盛り場はいくつもあるが、なんてまア人間が多いのだろう。どこへ行ってもごッた返してらア。
よく働き、よく遊べ、という甚だしく平凡な生活人の町なのだろうな。労働者は労働者の盛り場で、これはまた、己れの快的な愉しみに従事しているね。大阪は凡人の街なんだね。そして女が男よりも美しい街だ。なぜなら、大阪の男は凡人であるよりも、もっと悲しい凡夫だからさ。自分の袋を自分で背負わない女には、悲しい凡夫は袋の重味だけでもとても勝てッこないのです。
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凡夫はせっせと働き、頭に策をめぐらして、とんでもないことをやらかす。
御堂筋に三ツ寺というのがあるね。私はこれには悩まされた。京家から自動車にのる。どこへ行くにも、どうしても三ツ寺の前を通るんだね。一日に二度でも三度でも、自動車にのれば必ずこの前を通るというのは怨霊のせいかと遂にはイライラしたほどである。
昔、吉原だの浅草の遊女屋が、西洋風に改築するのが流行したことがある。外側は白やピンクのけばけばしい壁にぬり、窓がズラリと一階二階三階平行して同じように並んでいる。それらはみんなこの戦争で焼滅してしまったが、天下に一ツだけ残ったのが三ツ寺なんだね。大阪の人は「三ツデラサン」という。鉄筋コンクリートだから形が残るよ。そして屋根だけが、いくらか寺だ。妙なチョンマゲのような屋根である。真言宗だかのお寺ですよ。大阪の凡夫は狂おしく頭をしぼって、こういうお寺をつくるから、袋を背負わぬ女の子は自分の町の男の子を軽蔑するね。しかし袋の重味で凡夫はいろんな策をめぐらさなければならないのだ。
大きな国技館が立ちよると思っていたら、出来上ってカンバン(ネオンだね)があがったのを見ると、メトロというキャバレーだったそうだ。大阪新名物だ
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