だろう。京家へつくと、一パイのんで九時にねむり、三時間ねて、十二時に起きた。大雪の寒い日だから、コタツをだせ、コタツの上にのせる板はないか、ガミガミやられて、京家はちぢみあがったらしいな。
京家の人たちは旅館業という客商売らしい世馴れたところがないのである。諦め深い人たちの侘び住居というようなところだ。浄ルリの合邦の婆さんみたいなのが同じような弱気の女中を二三使って、てんで能率的でない旅館業を営んでいるような感じだ。彼女らは私の怖るべき形相にすッかり困惑して、思いみだれたアゲク、だいたいここは予約の客しかとらないところだが、予約の客を全部ことわって、私と徳田君以外の客を全部しめだしてしまった。時まさに土曜日曜だというのに、まことに、どうも、こッちの意志に関係はないが、悪いことをさせたものさ。ああいう人相のわるい奴にとんでもないことでも書かれたら大変だという心配があったにしても、客をみんな締めだすというのは、尋常なことではない。人のキゲンをとるに、どこの旅館がこんな妙な方法を用いるだろうか。およそ古代人の疫病神に対するような、また、娘を大蛇の人身御供にあげるような思いきった悲しいアキラメがあるではないか。しかし、心を鬼にして、それに甘えたおかげで、小説新潮も、文春別冊も、書きあげることができたし、大阪見物にも支障がなかった。この忙しい最中にも住之江競輪へのしてたった二レースだが、やってるのだから。四百円もうけて四百円損したからタダだ。大阪滞在を通じていくらも眠らなかったが、京家の一大犠牲的奉仕によって、こッちの身命を完うしたようなものである。世話物だったら、人の悲しさも知らないで、鬼じゃ畜生じゃという悪漢が、私のことであろう。
しかし、どうもね。諦めきった侘び住居というようなのが、大阪第一級の旅館として現存しているというのは、実際どうもここに泊っている限りは、山中深く居るようなもので、生気盗れる大阪の街を思いだすこともできないような時間の逆転、異様だなア。全く、どうも、現代というものがない。大阪にお伽話が実在しているようなものだ。焼けなければ、これに類する古風なものは、古い商店街などにまだかなり残っていたのかも知れない。ローソクで営業していたOKはその現代風に変形した同じ心象風景であったろう。
私は声楽家の山本篤子さんに依頼して、大阪の戦後派の(悪い意味ではなく
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