る。ここの女中(たぶん女中であろう)は美しい娘であった。これが多少現代風にハキハキはしているが、実に古風でリリしいところがないのである。
 中食はお二人前でございますか、と訊きにくる。そこで、あるいは新聞社からお客があるかも知れないから、しかし、その理由まで彼女に語ってきかせる必要はない。とにかく、三人前にして下さい、と私が云うと、これに対する彼女の答え。これを東京の言葉に飜訳するとこうなる。
「そうですわねえ。ほんとに、そうなさいますのが何よりでございますわ」
 自分もあなたの意見に同感だという意味の言葉を情のこもった大阪弁で実にシミジミと答えるのである。なんのために三人前の中食が必要であるか、その理由は彼女は知らないのであるが、いかにもその理由を知悉した上で、ことごとく同感だという情のこもったなれなれしい賛成の仕方で返答する。
 東京にはこんな時にこんな返事の仕方はない。ハイ、かしこまりました、とか、ハイ、三人前でございますね、と云うだけであろう。東京式の理にかった言い方で、理由も知らずに、
「そうですわね、三人前になさるのがとても正しいと私は思うわ」
 とでも答えたら、これは奇ッ怪千万なものだ。大阪の言い廻しやアクセントではそれが奇ッ怪でないばかりか、シミジミと耳に快い。大阪人という性格を育て上げる重大な環境の一ツはこのような言い廻し、言葉だろうと私は思った。
 反対に、エゲツなくザックバランにポンポン云う言葉が発達している。江戸ッ子はタンカをきるのが好きであるが、ポンポン云いまくる言い方は大阪がはるかに進んでいるし、表現が適確でもある。人を罵倒する無数の汚らしい言葉が発達している上に、実にエゲツなくグサリと人の弱点を突き刺す言い方が自在に口から出る仕組みになっているらしい。
 東京の罵言が紋切型であるのに比べて、大阪のは、その物、その場に即して、写実的であり、臨機応変即物的に豊富多彩な言い廻しが自ら湧いてつきないという趣きがある。おまけにその口の早いこと。こればかりは生れついての大阪人でないと、よくききとることもできないし、紙上に再現することもできない。私はジャンジャン横丁やストリップ劇場などでパンパンと労働者の罵倒の仕合いや弥次の名言などを耳にし、なんとまア細いところまで適切に言いまわしていやがると大感服をすることはあっても、あんまり早口で内容が豊富で変化
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