い私製の言葉を発案愛用するような性癖があるからである。
 ところが、大阪は新世界のジャンジャン横丁を歩いたら、おどろいたね。ここはホルモン焼きの天国だよ。人々はホルモン焼きを餓鬼の如くにむさぼり食っているが、決して地獄ではない。数丁にわたるジャンジャン横丁全体がホルモン焼きの煙と匂いにつつまれ、どの店も立錐の余地もなく労働者がホルモン焼きの皿をかかえてムシャぶりついている。どの店の看板にもモツ焼きなどと本来の名はなく、ただハッキリとホルモン焼き。しかもどの労働者もヒジをはり顔を皿にくッつけて無念無想にムシャぶりついているのだ。みんな淀橋太郎である。煙りも匂いもムシャぶりつく人々の身構えも、すべて食慾を感じさせること夥しい。
 挑みかかり、ムシャぶりかかるような食い方は、いくら空腹の時でも、サシミだのスノモノなどを相手に人間はしないものである。ホルモン焼きのもつ必然的なものが確かにあるのだ。云うまでもなく、第一に美味なのである。私はモツを好まないが、支那やフランスでモツが肉以上に高価なことでもその美味が知られるが、一般に私の知人の食通連もモツに対しては特に愛着をもつようだ。次にその美味に附随して、一定のアツさの程度が大切なのであろう。その味覚のスバラシさは寸分の油断なく身構えて挑みかかり逃してならぬ底の緊密なものであるらしいや。そこでホルモン焼きを食う人はみんなムシャぶりついてしまうらしいね。浅草の染太郎と大阪のジャンジャン横丁を周遊してごらんなさい。一方は畳の上だし、一方はイス・テーブルだが、食ってる人間の食いッぷりと身構えは全く同じことだ。
 このホルモン焼きで飯を食って、ジャンジャン横丁の労働者は二十五円で一度の食事ができるのである。労働者の天国だ。浅草が安いたって、とても、こうはいかない。ジャンジャン横丁には碁将棋会所が四五軒あって、どこも押すな押すなの大混雑である。碁将棋会所が軒なみに溢れたっているような風景も東京には完全にない。いずれも労働者たちであるが、金十円という席料の安いせいだろう。めいめいがその好みと分に応じて生活をたのしんでいることが、ここぐらいハッキリ示されているところはない。パチンコ屋もあるし、ストリップもあるし、そして一番混雑していないのは、むしろストリップであったようだ。ここのストリップは腰部をブンマワシのようにふりまわすことのみに専念し
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