草やナマコなどの海産物を夥しく朝廷へ貢物しているのであるから、海女の歴史はその頃からの古いものであるらしい。だいたい海産物の中でもナマコを食うなどとは甚しく凡庸ならざる所業で、よほど海の物を食いあげた上でなければ手が出ないように思われるが、志摩人は原始時代から海の物をモリモリ食っていたのであろう。ナマコだのコンニャクを最初に食った人間は相当の英雄豪傑に相違ない。
 鮓久で私たちの接待に当った老女中は海女村の出身で、その半生を転々と各地の旅館の女中で暮してきたという大奥の局のような落ちつき払った人物であった。四月から十月までが海女の働くシーズンで、冬には四五人ずつ集団をくみ旅館の女中などに稼ぎにでるのが多いそうだが、彼女らの団結心たるや猛烈で、一人が事を起したあげく、未だ帰るべき時期でもないのに帰郷すると云いだすと、他の全員も必ずそれに殉じて同時に帰郷し、あたかも雁の如くに列を離れる者がないそうである。
「なんであんなに団結心が堅いのやら、わからんですわ」
 と、老女中は自分の同族を他人のように批評した。
 私は志摩の海女にあこがれているのである。彼女らの生活にふれてみたいのだ。なぜなら
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