のヘンピな海辺に、落着いた聚落があるのである。鳥羽や志摩の入りくんだ湾が、海を荒々しいものではなく、庭のような親密なものにもしているであろう。伊勢は海の国。海から育った国。海人の国という感が深いのである。
 今でも汽車の通わぬ南海の果に、大神宮よりも古く、海と一心同体の生活をしていた人たちが、今もその地に住みついているのである。恐らく日本に於ける最も古い土着人の一つがこの地この海に住みついているのではなかろうか。太古の人が住みつくには最も適した地勢なのだ。南海の果であるし、湾は深く入りくんで風浪をふせぎ、島は多く散在して海産物に恵まれているのだから。彼らは歴史の変動にも殆ど影響をうけることがなかったようだ。たまさかに、武塔神のように荒々しい豪傑が南海の女のもとに夜ばいにくることはあっても、彼らの受けた侵略はその程度のもので、古代から今に海人たる生業を根強く伝承しているように思われる。南海の果の聚落で、どうして一泊しなかったのか、思えば残念でたまらない。



底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二九巻第四号」
   1951(昭和26)年3月1日発行
初出:「文藝春秋 第二九巻第四号」
   1951(昭和26)年3月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2010年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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