、蘇民の居住地を南海と示しているのは注意すべきではなかろうか。この地方のように、民家の半分ちかくが今もって蘇民将来子孫の護符をはりだしている地が他にもあるのか私は知らない。京都では軒並みにチマキを門にぶらさげて魔除けにしているが、蘇民将来の護符はあんまり見かけない。
宇治山田郊外には蘇民の森というのがあるのである。二見村の旧五十鈴川の流域にある。今の五十鈴川には二ツの河口があり、二見の江村へそそいでいるのが古いのだそうだ。古い河口の海岸にあるのが例の夫婦岩で、昔は川が最良の交通路だから、遺跡が陸伝いよりも河沿いに残るのが、自然である。地形によってはとりわけそうで、内宮外宮間は鎌倉ごろまで山伝いで、平坦な路がなかったという話であるから、神宮のできた初期に於ては、町の賑いは五十鈴川が海にそそぐところ、二見ヶ浦のあたりに在ったのかも知れないし、猿田彦の縄張りも、その辺の賑いを背景にしていたのかも知れない。蘇民の森は、松下神社と云い、旧河口にちかいところの鳥羽街道にあるのだが、祭神はスサノオの命を中に、右に不詳一座、左に菅原道実とある。道実は雷と化して京都をおびやかしたオトドだから、スサノオの命と並んで祀られるのは理のあるところ。不詳一座というのが何様だか知れないが、他の二神から推して荒々しい神様であることは想像できる。荒々しいという意味は、その裏側に、その神の一生が悲劇的であった、ということを意味しており、その悲劇的な一生に寄せる民衆の同情が、その神の怒りや荒々しさの肯定となって現れてもいるのである。
本殿裏が蘇民の森だが、裏へまわってみると、この森はどう考えても古墳である。その古墳は神殿の真後の円形の塚一ツであるか、更にその後の山もふくめて特殊な形をなしているのか私などには分らないが、塚であることだけは確かなようだ。そして、例の私の悪癖たるタンテイ眼によると(学者の鑑定眼とちがって私のは探偵眼だからなさけない)不詳一座という名なしの神様がこの塚の中に眠りつつある当人であり、思うに旧二見ヶ浦マーケットの親分あたりではないかと思うのである。
さて、私がいとも不思議なタンテイ眼を臆面もなくルルと述べ来った理由をお話しなければならないことになってきた。
伊勢の国、宇治山田といえば、大神宮、天皇家の祖神を祭る霊地であり、天皇家に深く又古いツナガリのある独特のものが民家の中にもひそんでいようと思われるのが当然なのである。ところが実情はそうではなくて、天皇家の日本支配以前のものに相違ない原始宗教めくものが、他の土地よりもむしろ根強く残り、すでにその意味は失われているが、形態だけは伝承されている。民家が魔除けに門にはるのは大神宮のお守りではなくて蘇民将来子孫の護符であるし、明らかにこの土地の豪族であり、しかも最初に朝廷へ帰順し道案内の功績をのこした猿田彦は、朝廷の敵であった豪族が諸国に多くの大神社に祀られて多大の民間信仰をうけた形跡を残しているにひきかえて、その郷土に於てすらも、さしたる神様ではないのである。
私の伊勢神話は、ここから小説になるのである。
猿田彦は最初に天孫民族に帰順し、その祖神を自分の土地に勧請するほどの赤誠を見せたがために、却って人望を失った。しかし猿田彦は天孫民族の後楯を得たことによって、彼の競争相手であり、たぶん彼よりも強大な豪族であった二見の誰かを倒すことができたのである。私がかく推察するのは、猿田彦の居住地たる五十鈴川上にくらべて、五十鈴河口の二見が当時としてはより賑やかで恵まれた聚落であったに相違ないという想像にもとづき、したがって、そこにより強大な親分がいた筈だという空想上の産物だ。それが蘇民将来だか誰だか分らないが、あるいは蘇民の森の塚にねむり表向きスサノオの名をかりている神名不詳の一座に相当するのかも知れない。最初の帰順者、最初の忠臣である故に、人気を失った猿田彦と、その犠牲者である故にひそかにしたわれる神名不詳の塚の主。
貝に指をはさまれて海底へひきこまれて死んだという猿田彦は海岸の住人には人望がなかったらしいな。伊勢からは建国当初海産物の貢物が夥しかったというが、これも猿田彦のニラミで、ムリに供出させたのかも知れん。だいたい日本神話というものは、民間伝承から取捨選択し、神々の人気を考慮して、都合よくツジツマを合せたと見られるフシが多い。猿田彦は最初の帰順者、道案内の功臣でありながら、民間に人気がないために、神話の上でも奇怪なピエロに表現されざるを得なかったのではなかろうか。ムリにツジツマを合せたから、日本神話はダブッてもいる。神武天皇を案内した金鵄《きんし》は、全身光りかがやくという猿田彦に当るのであろう。猿田彦も天のヤチマタに立ち、顔を合せる天孫族が目をあけることができなかったというあたりは
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