て生国居住地がハッキリしている。五十鈴川上のギャングなのである。ところが当時の他の親分が、みんな然るべき大神社に祀られているのに、この親分は天孫の道案内まで務めながら、彼を祀った著名な大神社というものはない。故郷の五十鈴川上の猿田彦神社の如きもチッポケ千万なもの、大国主の大三輪神社その他諸国に数々の大神社、スサノオの八坂神社等々に比べて、神話中の立居振舞相当なるにも拘らず、後世のモテナシ、まことに哀れである。今回の戦争の結末にてらしても、色仕掛にまるめられて侵略者の道案内をつとめたなどという親分は、いずれの国に拘らず、国民に愛されないのかも知れない。彼は神楽の中では、赤ッ面の鼻の長いピエロである。彼は自分の領地をさいて、侵略者の祖神を祀る霊地に捧げるほど奉仕的な忠義者であったが、意外にも世間の受けが悪く、天皇家の史家も芸術家もサジを投げて、忠義な彼を愚かなピエロにしなければならなかったのかも知れない。即ち後日の彼の運命は滑稽にして悲惨である。貝の口へ手の指を突っこんで締めつけられて海中へひきこまれ、ソコドキ、ツブタチ、アワダツという三ツの慌しいモガキ方をして死んだそうである。多情多恨で、失敗を演じているのは神々の通例、大国主などはそれによって人気いや増す有様であるのに、猿田彦はどうもいけない。節操なき者はついに民衆に愛されないのか。大国主は戦い敗れて亡びた首長であった。猿田彦は裏ッ先に節を屈し、美姫を得て終身栄えたであろう。しかも民衆の批判は、彼をして貝に指をはさまれ、海中へひきこまれてもがいて死なねばならぬように要求する。しかし彼の実人生は決してそうではなかったであろう。五十鈴川上の地を神霊の地として朝廷に捧げたのは、彼の子孫ではなくて彼自身であったかも知れない。そうすることによってマーケットの親分となり、十手捕縄も同時にあずかり、代議士にも当選して、存分に栄え、大威張りしてめでたく往生をとげたのかも知れない。それ故に彼の死後が栄えないのが当然であるか。民衆の批判が常に正当だとは限らない。民衆の批判の陰に泣きくれている魂もある。その魂の言葉を綴るのが文学の役目でもあるのである。
庚神は猿田彦を祀ったものだという説もある。宇治には北向庚神をはじめ七ツの庚神があるそうだ。このことは鮓久の先々代のメモによって知ったのである。しかし、庚神の祭神が猿田彦だというのは大いに当てにならないことで、この祭神の正体が判明する時は、古代日本の正体がよほど判明した時だ。
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旅行者の多くは見落しておられるかも知れない。現に宇治山田へ三度目という田川君が見落していたが、あの地方一帯の民家の三分の一は、入口にシメをはり「蘇民将来子孫」とか「笑門」という札を掲げているのである。正月ごとに新しくかけかえて一年中ぶらさげておくのである。
武塔神が北海から南海の女をよばいに旅行の折、その地に蘇民将来という兄弟があった。兄は貧乏、弟は富んでいたが、武塔神が宿を乞うと弟は拒絶したが、兄は快く泊めて粟をたいてモテナシてくれた。八年後に武塔神が再び訪れ誼《よしみ》に報いようと茅の輪をつくって兄の一家に帯びさせた。その年に疫病起って蘇民一家を残すほかの住民はみんな死んだ。即ち吾はスナノオの命なり、後世疫病ある時は蘇民将来子孫なりと云い、茅の輪をもって腰に帯をすれば難をまぬかれるだろう、と教えて立ち去った、という伝説によるのである。
元来京都祇園社の信仰にもとづくもので、祗園の末社に蘇民社というのがあるそうだ。その他諸国に蘇民将来子孫の護符をうりだす神社仏閣はいくつか在るとの由であるが、伊勢のはどこの神社の発行でもない。手製のもので、裏面には急々如律令と書くのだそうだ。昔はたぶん軒並みに全部やっていたものと思われるが、今ではシメだけで護符をつけない家が半分以上ある。
蘇民将来の伝説は、道祖神、石神《シャグジ》、庚神などの正体と共に、今もって全く謎だ。ソミンショーライという音からして日本語とは異質の感じであるが、蘇民という漢字にこだわるのは、いけないようだ。なぜなら、伊勢地方に於ては「蘇民将来子孫」の札よりも「笑門」の札が数倍多く、信州だかでは蘇民祭をソウミン祭と云ってる所もあるそうで、ソミン、ソウミン、それからショウモン、いずれも同一の何かを訛《なま》っているように思われる。どれが原音であるか、又、どれが原音に最も近いか、それは今では判断がつかない。祗園社の蘇民伝説、武塔神やスサノオが蘇民の情誼《じょうぎ》に報いたという説は、どこにも有りふれた報恩説話に後世の人がかこつけただけで、ソミン札の原因はそういうものではなく、もっと深くある地区の民衆の魂に根ざしている何かがあるように思われる。しかし武塔神の伝説にも特に「南海の女によばいして」と
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