にもひそんでいようと思われるのが当然なのである。ところが実情はそうではなくて、天皇家の日本支配以前のものに相違ない原始宗教めくものが、他の土地よりもむしろ根強く残り、すでにその意味は失われているが、形態だけは伝承されている。民家が魔除けに門にはるのは大神宮のお守りではなくて蘇民将来子孫の護符であるし、明らかにこの土地の豪族であり、しかも最初に朝廷へ帰順し道案内の功績をのこした猿田彦は、朝廷の敵であった豪族が諸国に多くの大神社に祀られて多大の民間信仰をうけた形跡を残しているにひきかえて、その郷土に於てすらも、さしたる神様ではないのである。
 私の伊勢神話は、ここから小説になるのである。
 猿田彦は最初に天孫民族に帰順し、その祖神を自分の土地に勧請するほどの赤誠を見せたがために、却って人望を失った。しかし猿田彦は天孫民族の後楯を得たことによって、彼の競争相手であり、たぶん彼よりも強大な豪族であった二見の誰かを倒すことができたのである。私がかく推察するのは、猿田彦の居住地たる五十鈴川上にくらべて、五十鈴河口の二見が当時としてはより賑やかで恵まれた聚落であったに相違ないという想像にもとづき、したがって、そこにより強大な親分がいた筈だという空想上の産物だ。それが蘇民将来だか誰だか分らないが、あるいは蘇民の森の塚にねむり表向きスサノオの名をかりている神名不詳の一座に相当するのかも知れない。最初の帰順者、最初の忠臣である故に、人気を失った猿田彦と、その犠牲者である故にひそかにしたわれる神名不詳の塚の主。
 貝に指をはさまれて海底へひきこまれて死んだという猿田彦は海岸の住人には人望がなかったらしいな。伊勢からは建国当初海産物の貢物が夥しかったというが、これも猿田彦のニラミで、ムリに供出させたのかも知れん。だいたい日本神話というものは、民間伝承から取捨選択し、神々の人気を考慮して、都合よくツジツマを合せたと見られるフシが多い。猿田彦は最初の帰順者、道案内の功臣でありながら、民間に人気がないために、神話の上でも奇怪なピエロに表現されざるを得なかったのではなかろうか。ムリにツジツマを合せたから、日本神話はダブッてもいる。神武天皇を案内した金鵄《きんし》は、全身光りかがやくという猿田彦に当るのであろう。猿田彦も天のヤチマタに立ち、顔を合せる天孫族が目をあけることができなかったというあたりは
前へ 次へ
全15ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング