かと思いめぐらして苦しんだのである。
考えすぎるのはいけないことだ、とむろん彼も心得ていた。しかし、自然に考えてしまうものは仕方がない。これも愛情のせいなのだ。愛情が深まるにつれて、彼は綾子の握り返した手にこだわった。苦しみは日ましに深くなったのである。
そもそも映画館で手を握ったという事の起りが俗悪すぎるのだ。考えれば考えるほど救いがない。したがって、先に手を握った自分の行為というものは思いだしても毛虫に肌を這われるような思いがするのであったが、その不快さも綾子の握り返した手を考えると忘れてしまう。それは不快さとはワケがちがう。不安なのだ。嫉妬でもあるし、恐怖でもある。
「蓮ッ葉に思われるのが辛いわ」と綾子は云った。いかにも健全にきこえるが、思えば思うほど月並でもある。そもそもいかなる女でも、あのような仕儀の処理に際しては、そのように述懐するに相違ないように思われる。ということは、それがキマリ文句であるように、握られた手を握り返すということも、彼女らにとってオキマリの月並な行為にすぎないのではないか、ということだ。
「キミは男にソッと手を握られたとき、必ず握り返すんじゃないのかなア」
ということを何べん口走りそうになったか知れない。しかし、松夫はタシナミを心得ていたから、こればッかりは云わなかった。袖の下を握りしめた政界の大物と同じように、秘密については口を割らないタシナミを心得ていたのである。
しかし彼は綾子に向ってそう問いかけた場合を空想することは毎日の例だった。彼が秘密の口を割らないのは彼女の痛いところにふれ彼女を苦しめるに至ることを厳に慎むからであったが、空想の中に於ては、彼女はむしろ彼に怒り彼を軽蔑するのである。ということは、彼女がその秘密を月並に仕出かす女だからであり、それを彼が何より怖れていることがそもそも空想の起りだからであった。
「こうこだわるのは不健全だ」
と考えて想念を払うために努力するのを忘れたタメシはないのだが、日ましに想念に苦しむ時間が長くなった。そのアゲクに変なことが起ったのである。
★
大学の同級生に水木由子という女学生がいた。彼女が心理学に凝っているのは有名だったから、松夫も知っていた。彼女は寝ても覚めても人間の心について考えているらしく、易者よりも手際よく人の心という心をズバリズバリと手玉にと
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