しないで死ぬ人も多いのだから、私は幸福なのだろう、と。
 然し、お定さんは男が好きになった。そして、その男にだまされた、そういうことは十六七から何度もあったのですが、それを恋愛とは考えていないのです。そして、自分の愛する人に自分も亦愛された、相思相愛、つまり吉さんとの場合だけが恋であり、三十いくつで一代の恋を始めて知った。世の多くの女の人は恋を知らずに死ぬ人も多い、そう申しておるのであります。
 又、お定さんは、自分はあのことは実際は少しも後悔していない、世の中の女の人はみんな、もし本当に恋をすればあゝなるだろうと思っている、みんな、同じものを持っている筈と申していました。
 事実、あの出来事には犯罪性というものは全く無いように思われます。吉さんの方にはマゾヒズムの傾向があって房事の折に首をしめて貰う。殆ど窒息に近いまで常に首をしめて貰う例だそうで、たまたま本当に死んでしまった、お定さんは始めは気がつかなかった程で、そういうクライマックスで死んでいった吉さんを殺したような気がしないのは自然であり、むしろそのまま死んでしまった吉さんに無限の愛情を覚えざるを得なかったのは当然だろうと思いま
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