の陶酔のなかでお定さんにクビをしめてもらうのが嬉しいといふ癖があつた。一般に女の人々は、本当の恋をすると、相手次第で誰しもいくらかは男の変質にオツキアヒを辞せない性質があり、これは本来の変質とは違ふ。女には、男次第といふ傾向が非常に強い。
 たまたま、どこかの待合で遊んでゐるとき、遊びの果に気づいてみると、吉さんは本当にクビをしめられて死んでゐた。たゞそれだけの話なのである。
 いつも首をしめられ、その苦悶の中で恋の陶酔を見てゐる吉さんだから、お定さんも死んだことには気づかなかつたに相違なく、もとより、気づいて後も、殺したといふ罪悪感は殆どなかつたのが当然である。むしろ、いとしい人が、いとしい/\と思ふアゲクの中で、よろこんで死んで行つた。定吉一つといふやうな激越な愛情ばかりを無上に思ひつのつたらうと思ふ。さういふ愛情の激越な感動の果に、世界もいらない、たゞ二人だけ、そのアゲク、男の一物を斬りとつて胸にだいて出た、外見は奇妙のやうでも、極めて当りまへ、同感、同情すべき点が多々あるではないか。
 あのころは、ちやうど軍部が戦争熱をかりたて、クーデタは続出し、世相アンタンたる時であつたから、反動的に新聞はデカデカかきたてる。まつたくあれぐらゐ大紙面をつかつてデカデカと煽情的に書きたてられた事件は私の知る限り他になかつたが、それは世相に対するジャーナリストの皮肉でもあり、また読者たちもアンタンたる世相に一抹の涼気、ハケ口を喜んだ傾向のもので、内心お定さんの罪を憎んだものなど殆どなかつたらう。
 誰しも自分の胸にあることだ。むしろ純情一途であり、多くの人々は内々共感、同情してゐた。僕らの身ぺんはみなさうだつた。あんな風に煽情的に書きたてゝゐるジャーナリストがむしろ最もお定さんの同情者、共感者といふぐあいで、自分の本心と逆に、たゞエロ的に煽つてしまふ、ジャーナリズムのやりがちな悲しい勇み足であるが、まつたく当時は、お定さんの事件でもなければやりきれないやうな、圧《お》しつぶされたファッショ入門時代であつた。お定さんも亦、ファッショ時代のおかげで反動的に煽情的に騒ぎたてられすぎたギセイ者であつたかも知れない。
 実際、さうだらう。お定さんの刑期は七年だか五年だか、どう考へたつて、長すぎる。僕はせゐぜゐ三ヶ月か半年、それも執行猶予くらゐのところと思つてゐた。人を殺した、死体に傷を
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