フシギな女
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)米《メートル》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二千|米《メートル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)断定的[#「断定的」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)メチャ/\
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文字と画はこうも違うものかね。ヤブニラミ、オカメ、無愛想、唇厚く、ニキビ面などと目撃者の表現が散々だから(築地の中華料亭四人殺害事件の犯人)この事件を漫画にとり入れた人々も大そうな不美人をかいていましたね。
ところが、モンタージュ写真を見ると、凄味のある不美人ではなくて、農村でタクサン見かけることができそうな、あたり前の顔だ。女中の顔の型としては代表的な一ツかも知れん。疑られて迷惑する娘さんが方々に現れそうだ。しかし帝銀の場合とちがって、目撃者が多いし、相対していた時間も長いから、この写真は当人によく似ているのだろう。太田成子嬢はそう長く地下にもぐっていられないに相違ない。
ラーメンをたべたお客さんの印象、スシ屋さんの印象、洋品店のお婆さんの印象、みなさんそれぞれ個性的な特徴をつかんでいて、我々がそれを読んでもなんとなく印象的である。ラーメンのお客さんの言葉によると、今日から来たの? ときいても無言で、ドンブリの内側へ指をかけてラーメンを持ってきたそうだし、スシ屋では三四十分もかかって、まずそうにスシ一皿くい、四回も時間をきき、四合も水をのみ、もっと長く居たいような様子だったが店が忙しいので仕方なしに立ち去ったらしいという。洋品屋では、オーバーのポケットから札をつかみだして、百円札で四枚、十円札で六十二枚、それを算えるのに十分もかゝったが、多すぎるので百円札一枚返すと、それをポケットへねじこんだそうだ。ラジオがウタのオバサンをやってましたから八時五十分ごろですよ、そこのお婆さんの証言は探偵小説的である。
最もよく見たはずの人物、同じ店の出前持で、二階にねていて唯一人難をのがれた山口さんの証言、いや、手記(毎日新聞二月二十五日)が、あべこべに甚しく印象的なところがないな。太田成子という個性を捉えたところがない。「別に怪しい素ぶりもなく普通に働いていましたが、ただお客が飲み食いした後は必ず店内を掃き、ゴミを裏まで捨てに行ったので、一々裏まで行かなくともいいと言いましたが、それから寝るまで三四回は裏木戸から外に出たようです」というのがこの手記中で成子嬢の示した唯一の異様な行動であるが、これ以外にも特徴のある行動がなかった筈はなかろう。彼はただ、彼女をおそく訪れた男があった、という事実を後刻に至って知ったから、それにてらして思い当った観察であろう。思い当る節がないと見逃している観察眼だ。店をしめてから彼が前掛けのセンタクしているとき、彼女は女中部屋で旦那が売上を計算しているのを見ていた、という。これも泥棒という事実があって、よみがえった観察にすぎない。
「一時半ごろ便所へ行くために階段を下りかけると、下の方から声を殺したような男女の話声がきこえるから、女中部屋をのぞくと、いつのまに来たのか女の敷いた布団の上に男が膝をかかえた姿勢でカベの方を向いてすわっていました。そのとき二人は浅草とか云ったと思います。男の服装はネズミ色のオーバー、ギャバジンの白いズボン、ノーネクタイだった。後姿なので人相ははっきり見きわめませんでしたが、ガッシリした体格で顔は青ぐろ、ほお骨が高く頭の髪の前の方はパーマネントでちぢらしどうも日本人ばなれがして三国人のように思われました」
チラとのぞき見しただけで、男の服装人相だけはよく見たものですなア。自信満々たる断定。恐れ入った眼力である。多分に創作癖があるようだ。自分の眼で観察していたのではなく、後刻、必要にてらし合せて思いだしたり、創作したり、当人はそれを真実と思いこんでいるのかも知れないな。彼は翌朝九時ごろ起きたが、女中部屋に女中も男も姿はなく、フトンはキレイに四ツにたたんであったそうだ。
前夜、女中部屋に男がいるのを見て二階へ上ろうとしたとき、女が声をかけて、親戚の者ですが泊めてもよいか、というから、女中が男をひきこむことは今までも大目に見られていたことで、奥さんが承知ならよろしいでしょうと答え、別に怪しまなかった、という。
女中が男をひき入れたりお客をとるのが大目に見られていたというが、女中に住みこんだ当夜から男をひき入れるのは、いささか図太すぎるフルマイであろう。別におかしく思わないのは、山口さんだけではないかな。
しかし、共犯者は問題ではない。太田成子嬢を捕えれば足りるのだ。さすれば何者が共犯者かは自然に判る事だから。
★
私の知っている女をいくら物色しても、太田成子嬢のようなフシギな女は見当らない。旦那が二十数ヶ所、妻女が十七ヶ所、長男(一一)が三ヶ所、長女(一〇)が十六ヶ所も薪割りで傷をうけていたという。探偵小説の常識では、こういう手口は女が犯人、ということになっている。生き返る不安におびえるのか、逆上するのか、メチャ/\に斬ったり突いたりするものだそうだ。しかし、男が必ずそうしないと断定はできない。しかし、女の子が十七ヶ所、男の子が三ヶ所というのは、女の手口のような気配がしないでもない。
これほどメチャ/\に斬りつけたのは、よほど生き返る不安を怖れたのであろうが、そのくせ二階の山口さんをなぜ訪問しなかったのだろう。四人殺して、モウ人殺しはタクサンという気持になり、オジ気づいたと見るのは当らない。これほどメチャ/\な斬り方をしながら、土足の足跡も、血のついた足跡も残していないそうである。つまり、テイネイに跡の始末をするだけの甚しく冷静な行動が次に長時間行われていたことが知り得られる。彼らは金品を探して血の海の室内をずいぶんうろついた筈なのだ。しかも足跡がなく、血のついた着物もきておらず、盗んだ預金帳にも血がついていないらしい。よほど冷静に行動して後の始末をしたのであろう。彼女、もしくは彼が残しているのは、薪割りの指紋だけだそうである。
フトンをキレイに四つにたたんで去ったというのも、証拠品を落していないか、という不安のせいによるのであろう。そして犯行前にたたんだのかも知れないが、こんなところも冷静だな。惨殺した四人の枕元で冷静に証拠を消し、しかも完璧に消しおわせているほどの不敵な沈勇をもちながら、なぜ二階の山口さんを訪問しなかったか、どうにも判断に苦しむのである。
全員を殺してなら、あるいは冷静に証拠を消してもいられよう。二階にもう一人いるのである。犯罪というものは、それを行う前よりも、行って後の恐怖や、逃げたい気持が激しいのが普通であろう。
彼女の場合も、あるいは再び二階で人を殺す勇気がなかったのかも知れない。その気持は理解できるが、しかし、殺した四人を目の前に、ユックリ足跡を消したり、盗んだり、さらにそれ以上に長時間を費して、からだの血を洗い衣服も多少は洗ったりしたであろう。この太い泥縄のような神経は恐ろしいね。たぶん夜が明け放れて人に怪しまれなくなるまで、殺した家に閉じこもっていたのだろう。
スシ屋へ現れて三四十分かかってスシを食い水を四合のみ、このへんは、さもあらん。いかに大胆不敵でも、ノドがかわく筈だよ。四人を殺すのは大変な仕事だからな。
それにしても、彼女が最も心を用いているのは時間なのだ。信用組合の時間である。ほかに心配はないらしい。衣服や手足毛髪などのどこかしらに血がついていないか、又は、すでに現場が発見されて大騒ぎになり諸方に手がまわっていないか、それが何より気がかりになる性質のものだが、彼女の神経は海底電線ぐらいの太さがあるなア。無神経、バカ、白痴、と見るのは当りませんや。彼女の伝票に残した文字をごらんなさい。
ラーメン弐、[#ここから横組み]¥100[#「100」に二重傍線][#ここで横組み終わり]他の一枚は、ラーメン弐、[#ここから横組み]¥200[#「200」に二重傍線][#ここで横組み終わり]と、書きまちがえて、訂正しているが、その訂正の仕方も小器用で、いかにも馴れた感じである。字も達筆で、金釘流ではなく、¥の横文字もなれたもの。それに面白いのは、弐の字である。どうして簡単な二の字を書かないのだろう。弐の字をふだん用いる職業は何ですかね。もっとも、この家の流儀が弐参という字を用いる家風なのかも知れないが、それにしては、弐の字を馴れた手で書きこなしているのがアッパレである。バカにはこんな字は書けますまい。
洋品屋で買い物する。人に顔を見せて歩く不利よりも、ここでも時間が問題だ。十分もかかってお札を算える。この女の心理は畸型で、豪放である。現場の証拠を消すために、沈着大胆な処置を完了していながら、もっとハッキリした証拠、近所の人に顔を見せて歩き、しかも人々に特別注目され記憶されるような風変りな行動を残して歩き、信用組合で預金をひきだす女と当然結びつけて判断される怖れが甚大であることを意としないのであろうか。現場の足跡を消したって、たいしたことにならないじゃないか。第一、それほど冷静に証拠を消しながら、犯罪者なら何より先に気になる筈の兇器に指紋を残しているとは、何というウカツな話であろうか。
すると、冷静、沈着、大胆なのは、女じゃなくて、男一人なのかも知れないな。男は自分の証拠を消した。薪割りの指紋に注意を払わなかったのは、その凶器をふるったのが、自分ではなくて、女だからではないのかな。だが、それほど冷静な男なら、自分を見た唯一の人物、二階の山口さんをなぜ訪問しなかったのだろう。要するに、下手人は彼ではないせいか。たまたま護身用に薪割を持っていた女が、何かに怯えて逆上的に四人を叩き斬ったのであろうか。男が下手人なら、二階の人物をそのままに生き残しはしないだろう。なぜなら、女は多くの人に見られているが、男を見たのは山口さんが一人なのだから。
信用組合へ十四万円おろしに行った女は、三文判だからダメですと云われて、では出直して参ります、と引さがったそうだ。兇行の室内から三文判を探しだして満足したのか、実印をさがしたが見つからなかったのか不明であるが、あれほど信用組合の時間を気にしていたところをみると、三文判で用が足りるものと満足していたのかも知れないね。
とにかく、時間は気にしても、すでに現場が発見されて手がまわっているかも知れぬことや、人に疑われそうな挙動を残して歩くことが不利であることなどをてんで気にかけない様子は、牛の如くに鈍重な、しかし金を握ることに対してのみは地底の火の如くにまッしぐらな逞しい意志力を感じさせるじゃないか。それとも、時間ということに、秘密な重大な意味があるのかも知れん。この怪牛のような女にくらべれば、左文嬢などはなんと人間らしく可憐であるか、その比ではないのである。
帝銀の犯人だって、一同がバッタバッタと倒れるや、ことごとく慌てふためき、開け放しの金庫の中に見えている大金に注意する精神力もなく、目前に有り合せの金を握って逃げたのである。この犯人は、行員を殺すことを意志してはいても、眼前に死ぬ人を見て、空想とちがった現実に慌てたところがあったのだろう。
わが太田成子嬢ははからずも四人をメッタ斬りにして、それほど慌て、おののいている様子はないらしいや。多くの人に顔を知られているのに、すぐ現場の近所をうろつきまわって、時間だけは気にしても、捕われる不安の様子がないのだから。ただ時間だけ念頭にかかるという妙な一途な思いつめ方の奇怪さは論外だ。犯罪者は犯罪の現場へ何食わぬ顔で立ち寄りたがるというが、そんな一般的な人間なみなところは感じられないね。そんなところへ立ち寄りたいような子供じみた、オモチャを弄ぶような心理はないらしく見えらア。オスシだって、十のうち一ツのこして平らげているのも大したものだ。非凡というか、むしろ、超凡とでも
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