はないのである。そこに至る特殊な道程があったのだ。小説はそのような道程を書くことでもある。するとそこに現れるものは平凡人が特殊な事情によってそうなっただけで、異常性格というものは、殆どないという結論だ。私は精神病者であったゲーテやニイチェやドストエフスキーの作品ばかり読んだり引用したりしているのが、おかしいと思うのである。一番平凡人を書いた人、健全な平凡人の平凡でまた異常な所業を書いた人、チエホフをなぜ精読しないのだろう。本当の人間を書いた人はチエホフであろう。人間の平凡さをこれぐらい平易に描破した人はないが、見方を変えれば、あらゆる平凡人がみんなキチガイで異常性格だと彼は語っているようなものだ。チエホフは古今最高の人間通であろう。環境をきりはなして人間はあり得ないものだ。精神病医の場合は一見特に環境をきりはなして病人を見てはいけないように思われるが、彼らは環境ぬきに、病気だけを見ているのが普通だ。なぜなら病人や病気のタイプは環境ぬきでも分るものだ。人間が分らなくとも病気は治せるものである。精神病のお医者ではフロイドだけは人間を知っていたね。
 しかし東大の精神科の先生は私に語った。精
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