と会ったりして却って明白に露出している真相を逸していたようだ。
 私が「フシギな女」を書いたのは、単に人間の心理を解析するだけで、確実に犯人を推定しうる稀有な場合であったから。
 こんなことはメッタにあるものではない。現場も見ずに素人が犯人を当てるなどということは、万に一ツぐらいの珍しいことだ。
 事件直後に朝日新聞が犯人は誰だと思う、と聞きに来たが、ことわった。その時はこう明白に推定できた時ではなかった。現場がどんなになっているのか、足跡があるのか、台所で身体を洗ったり、血の始末をした跡があるか、何も分らない。そういうことが分らなくて推理はできないものである。ただ、新聞に報じられている状況から判ずると、朝日の疑っている人物が疑わしいことは確かだ、とだけ、つけ加えて答えただけだ。だいたい事件直後に素人タンテイが犯人を推理するなどとは滑稽なことだ。すべて事件のカギは現場にあるのだ。それを見ずに、まして素人が、きいた風なことを云ってみたって仕様がない。今後もあることだから言っておきますが、事件直後に安吾タンテイの推理をききにきたってムダです。私は答えません。否、答えられません。答える力量がないのだから。
 とてもホンモノのタンテイにはかてませんが、素人の多くの方々にくらべれば捕物帖の作家たるだけのタンテイ眼はあるでしょう。その相違がどういうところに一番ハッキリしているかというと、その事件の個性と限界というものだけはいつもほぼ正確に見究めているという事です。たとえば、太田成子がつかまり、山口が犯人と分ったときに、なぜ山口を疑らなかったか、と世間は怒りました。これが素人の素人たるところでしょう。この事件は太田成子を追う一手ですよ。さすれば男は自然に分るのだ。変に山口を突つかずに、太田成子専一に追えばよかった。さすがに警視庁はそれをやっております。新聞記者だけが山口にいつまでもからみついていました。しかも犯人でないと信じつつ。彼らのタンテイ眼はよほどダメのようです。事件の個性と限界を知らないのだから。
 五年前、初めてタンテイ小説を書く時に、浅田一博士を研究室にお訪ねして法医学の知識を若干御伝授ねがったことがありました。先生は非常に公正な判断力をお持ちの方で、思考の傾斜が少い方です。法医学者とかタンテイにはそういう性格的な素質が必要だということを実物で教えていただいた次第で、何よりそれが印象に残っています。
 科学者はみなそうあるべきだとお考えかも知れませんが、否、否、科学の独創的な仕事は、むしろ傾斜する思考から生れるのが自然ではありませんかね。タンテイはそうじゃないね。限界がハッキリ与えられている。独創はないのだ。タンテイに独創はありません。臨床医と同じようなものだ。ただ傾斜の少い正確な眼が必要なだけだ。新聞の報道という任務にも、この眼が基本でなければならないと思うのだが、およそ日本の新聞には、この眼がありませんね。太田成子さんと同じようにヤブニラミであるか、甚しく傾斜したがる眼ですね。いつも事実を自分の方から逃している眼ですよ。眼グスリだけでは治らない病気だね。報道に独創なんてことはあるべきじゃアないから、傾斜してはいけません。

          ★

 タンテイの推理と科学の独創は違うといったが、科学もある点まではタンテイと類似した推理ですね。私はそれをこの三月、常磐線の汽車の中でイヤというほど思い知らされました。
 文藝春秋へ連載している安吾日本地理というものの夏のシーズンに「只見川ダム」という予定をたてておいたのである。予定をたてたときは威勢がよかったが、少くとも一週間は人なき山中を彷徨しなければならないのだからね。小生もすでに年老いたよ。先月その日本地理で仙台へ行き、青葉城という城跡の山へ登っただけでノビたのさ。
「もう、只見川はやめた!」
 私は青葉城本丸跡で文春記者にかく断乎として宣言したのである。さらに塩竈神社というところの石段を二百段ほど登ったときにも、
「もう山登りはコンリンザイやらんよ」
 と、かたく念を押したのである。
 ところが妙なもんだね。仙台から帰りの常磐線にのると、中谷宇吉郎先生と同じ箱に乗り合したのである。
 迂遠な話だが、私は中谷先生がダムの権威で、各地のダム建設に最高顧問として実務にたずさわっておられることを知らなかった。只見川もむろんのことである。いま上京するのも、信濃川ダムへ行くためで、それが終って四月はじめに只見川へ行かれるところでもあった。
「四月の只見川は素人のあなたには登山はムリですね」
 と、先生は青葉城で音をあげた私をかるくひやかしたが、
「しかし、只見川はぜひ一見して下さい。いろいろの問題がありますよ。七月にまた行く予定ですから、そのときに一しょに行きましょう。アイソトープを
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