まで、殺した家に閉じこもっていたのだろう。
スシ屋へ現れて三四十分かかってスシを食い水を四合のみ、このへんは、さもあらん。いかに大胆不敵でも、ノドがかわく筈だよ。四人を殺すのは大変な仕事だからな。
それにしても、彼女が最も心を用いているのは時間なのだ。信用組合の時間である。ほかに心配はないらしい。衣服や手足毛髪などのどこかしらに血がついていないか、又は、すでに現場が発見されて大騒ぎになり諸方に手がまわっていないか、それが何より気がかりになる性質のものだが、彼女の神経は海底電線ぐらいの太さがあるなア。無神経、バカ、白痴、と見るのは当りませんや。彼女の伝票に残した文字をごらんなさい。
ラーメン弐、[#ここから横組み]¥100[#「100」に二重傍線][#ここで横組み終わり]他の一枚は、ラーメン弐、[#ここから横組み]¥200[#「200」に二重傍線][#ここで横組み終わり]と、書きまちがえて、訂正しているが、その訂正の仕方も小器用で、いかにも馴れた感じである。字も達筆で、金釘流ではなく、¥の横文字もなれたもの。それに面白いのは、弐の字である。どうして簡単な二の字を書かないのだろう。弐の字をふだん用いる職業は何ですかね。もっとも、この家の流儀が弐参という字を用いる家風なのかも知れないが、それにしては、弐の字を馴れた手で書きこなしているのがアッパレである。バカにはこんな字は書けますまい。
洋品屋で買い物する。人に顔を見せて歩く不利よりも、ここでも時間が問題だ。十分もかかってお札を算える。この女の心理は畸型で、豪放である。現場の証拠を消すために、沈着大胆な処置を完了していながら、もっとハッキリした証拠、近所の人に顔を見せて歩き、しかも人々に特別注目され記憶されるような風変りな行動を残して歩き、信用組合で預金をひきだす女と当然結びつけて判断される怖れが甚大であることを意としないのであろうか。現場の足跡を消したって、たいしたことにならないじゃないか。第一、それほど冷静に証拠を消しながら、犯罪者なら何より先に気になる筈の兇器に指紋を残しているとは、何というウカツな話であろうか。
すると、冷静、沈着、大胆なのは、女じゃなくて、男一人なのかも知れないな。男は自分の証拠を消した。薪割りの指紋に注意を払わなかったのは、その凶器をふるったのが、自分ではなくて、女だからではないのかな
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