ニューフェイス
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)金釘流《かなくぎりゅう》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チャキ/\
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 前頭ドンジリの千鳥波五郎が廃業してトンカツ屋を開店することになったとき、町内の紺屋へ頼んだノレンが届いてみると「腕自慢、江戸前トンカツ、千鳥足」と意気な書体でそめあげてある。
 千鳥波が大変怒ってカケアイに行くと、紺屋のサブチャンが、呆れて、
「アレ、変だねエ。だって、お前がそう頼んだんじゃないか」
「からかっちゃ、いけないよ。ワタシはね、怒髪天をついているんだよ。痩せても枯れても、ワタシには千鳥波てえチットばかしは世間に通った名前があるんだぜ。ワタシはね、稽古できたえたこのカラダ、三升や五升のハシタ酒に酔っ払って、言った言葉を度忘れするような唐変木と違うんだ」
「それはアナタ、そう怒っちゃイケませんよ。お前が唐変木じゃアないてえことは、ご近所の評判なんだ。然しねエ、怒っちゃイケねえなア。これにはレッキとしたショウコがあるよ。どこのガキだか知らないけど、お前がお使いをたのんで、書いたものを届けさせたじゃないか。ホラ、見ねえ、こゝにショウコがある。かねて見覚えの金釘流《かなくぎりゅう》だね。ひとつ、ノレンのこと、腕自慢、江戸前トンカツ、千鳥足、右の如く変更のこと。コイ茶色地に、文字ウス茶そめぬきのこと。どうです」
「ハハア。さては、やりやがったな」
 さっそく紺屋のサブチャンの手首をつかんで放さず、片手にショウコ物件を握って、質屋のセガレのシンちゃん、喫茶のノブちゃん、時計ラジオ屋のトンちゃん、酒問屋のハンちゃん、四名の者をよび集めた。
「さア、いゝかい。こゝへ集まったこの六人は江戸ッ児だよ。下町のお江戸のマンナカに生れて育ったチャキ/\なんだ。小学校も一しょ、商業学校も一しょ、竹馬の友、助け助けられ、女房にはナイショのことも六人だけは打ちあけて、持ちつ持たれつの仲じゃないか。それだけの仲なればこそ、ずいぶんイタズラもやってきましたよ。然し、何事も限度があるよ。こんなチッポケな店でも、開店といえばエンギのものだぜ。犯人は男らしく名乗ってもらいましょう。その隅の人」
「エヽヽ、その隅と仰有《おっしゃ》いますと、長谷川一夫に似た方ですか、上原謙の方ですか」
「ふざけるな。アンコウの目鼻をナマズのカクに刻みこんだそのお前だ」
「エッヘッヘ。主観の相違だねエ。わからない人には、わからないものだ。つきましては、サの字に申しあげますが」
「なんだい、サの字てえのは」
「それはアナタです。この正月に芸者の一隊が遊びに来やがったじゃないか。そんとき、文学芸者の小キンちゃんが文学相撲の五郎ちゃんに対決しようてえので、論戦がありましたよ。小キンちゃんの曰くサルトルはいかゞ、てえ時に、関取なるものが答えたね。ハア、サルトルさん。二三よみましたが、あれは、いけません。そのとき以来、サルトルさんと申せば近隣に鳴りとゞろいております」
「なにを言ってやがる。お前じゃないか。せんだっての小学校の卒業式に演説しやがったのは。これからは、民主々義、即ち文化の時代である。もはや剣術は不要であるから、芸術を友としなければならぬ。剣術も芸術も、ともに術である。ともに術だから、どうしたてんだ。ワケのわからないことを言いやがる。我々は江戸キッスイの町人の子孫であります。我々の祖先も剣術も知らず、芸術を友といたしたのである。そのころもエロであった。然し、諸君よ、エロも芸術でなければならぬ。これぞ今日の我々に課せられた義務であります。バカだよ、お前は」
「エッヘッヘ。古い話はよしましょう。然し、サの字に申上げますが、この犯人はエラ物だね。相撲の店だから、腕自慢、これは筋が通っているよ。江戸前トンカツ、これが、いい。ヤンワリと味があるね。サルトル鮨なんてえ店をはじめやがったら絶交しようなどゝヨリヨリ申し合せておりましたよ。千鳥足、また、これが、いいね。つまらない意地をはるのは江戸ッ子のツラよごしだから、およしなさい。これは犯人なんてモノじゃなくて、然るべき学のある御方があの男も可哀そうだ、世のため人のためてんで、はからって下さったんだ。千鳥波なんて、月並なシコ名にとらわれるのは、いゝ若い者の恥ですよ。千鳥波か、バカバカしいや。墨田川に千鳥がとんでた、お相撲だから錦絵にちなんだのかも知れないが、時代サクゴというものです。アナタだって、ダンスのひとつもおやりのサルトルさんじゃありませんか」
 と言ったのは質屋のシンちゃんで、そのために、こやつテッキリ犯人め、と千鳥波の恨みを買うことになったが、本当の犯人はシンちゃんではなかった。
 紺屋のサブちゃんが犯人であった。ひょいと思
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