の常連の中でも、毎晩必ず九時に現れる三人の人、オーさん、ヤアさん、ツウさん、この三人が超特別のお客なんだよ。そのうちのヤアさんは頭のハゲを気にしているから、まちがってもハゲの話をしちゃいけないぜ。オーさんは酔っ払うと清元の三千歳《みちとせ》を語る癖があるんだが、その時は渋いですネ、と云わなきゃならない。水商売は本当のことを言っちゃならないものなんだが、当節の芸者はいっぱし批評家づらアしてお客をやりこめて、しくじりやがる。ワタシたち相撲の方が、客あつかいの礼儀というものを心得ていたものだ。ツウさんは腸が悪いから五分に一発ぐらいずつ大きな屁をたれる。そのとき笑っちゃいけないよ。屁なんてえものは、なんにもおかしいものじゃアないや。自分でたれてみりゃ分らアな。屁をたれるな、と気付いたトタンに、ガチャ/\それとなく皿など重ねて音をたてゝあげるだけのカンと思いやりが閃くようになりゃ、奥ゆかしいというものだ。この店は味を売る店だから、余分の愛嬌はいらないことだが、タシナミと明るさがなきゃいけない」
 と訓辞を与えておく。
 暮方から客扱いを見ていると、全然ズブの素人で、型に外れているのが面白い。普通の素人娘のうちでも、この娘などは特別立居振舞の投げやりで粗暴な方であるらしい。然し、女のやさしさやタシナミに欠けるようでありながら、巧まざる色気がこもっていて、申さばシンちゃんの言う如くチャーミングなところがある。だから、粗暴というよりも、奔放自在という感じをうけ、同時に、大いに初々しい。全然笑顔を忘れた仏頂ヅラであるが、これも亦、初々しいという感じで、人に不愉快は与えない。十人並より少しはマシなキリョウであった。思いのほかに上乗な感じであるから、これは案外ホリダシモノだと内心よろこんでいる。
 いよいよ九時がきて、御三方の登場となる。
「えい、いらッしゃい」
 と特別の声でむかえて、女の方へ目顔で知らせる。
「今度きた女中です。ズブの素人で、客扱いには馴れませんから、やることが不作法ですが、ウチのお客さん方はみなさん酒と料理で満足して下さる方ばかりですから、かえって、まア、愛嬌ものかも知れません。ワタシ同様、ゴヒイキにおたのうしやす」
 そう紹介してやっているのに、挨拶に近づいてくる風もない。不馴れなのだから、ほったらかしておいてやれ、と千鳥波は気にかけず、
「おい、お銚子。お酒をつけるんだよ」
 自分は料理をつくりながら、女の方をチョイ/\見るが、隅の方に思い決したタタズマイで一点を睨んでいるばかり、お銚子に酒をつぐことが念頭にもない様子である。
 ハテナ、変ったことが起ったのかな、ふりむいても、客席の方には別状がないから、ウッカリすると、こやつ、テンカンもちの発作を起しやがったんじゃないか、相撲の客席などでも、年に三四度テンカンもちのアブクをふくのにぶつかるものだが、酒興にむくというものじゃない。
「おい、お銚子をつけないか。なにをボンヤリしてるんだ」
 とたんに女がキャーッという勢一ぱいの悲鳴をあげた。
 千鳥波ほどの豪の者でも飛びあがるほど驚いたが、御三方の心気顛倒、浮腰となり、とたんにツウさんは六ツ七ツつゞけさまに異常な大物をおもらしになる。
 大音響のハサミウチに、千鳥波もふと気がついて、ハハア、さては先刻の訓辞が骨身にしみて、生娘の一念、ジッと凝らしてツウさんの気息をうかゞい、間一髪に見破って、悲鳴をあげたのかも知れない。とっさのことで手もとに皿がないから悲鳴をあげたと思えばイジラシイことでもあるが、待てしばし、今来たばかりの初見参の御三方のどれがツウさんやら知る筈のないことである。
 千鳥波は女の初々しさ、ウブな色気にひと方ならずチャームされるところがあったから、一度はこんな風にこれも女の初々しさによるせいだなどゝ思ってみたが、そうじゃない。
 その悲鳴はいっかな終らぬ。終らぬばかりか、フシがある。つまりこれは唄である。ようやくそれが分ってきた。
 ふとした気分で鼻唄というのではない。全力的なものである。必死なものだ。おまけに肩をすくめてお乳のあたりをだくようにしたり、その手をジリ/\と朝顔型にひらいてみたり、そのたびに、十人足らずで満員になる小さな店のことだから、コマクも頭もハレツしそうになり、金切声のふるえにつれて、背中からドリルで突き刺された思いになる。
 三人の旦那の蒼ざめはてた顔を見れば、忽ち思い当ることがある。金切声の声楽に亡国の悲劇を読みとる三人の旦那であった。その御三方の登場を合図に唐突と亡国の悲歌をかなでる、もとよりそこにはさゝの枝主人の指図があるにきまっている。
 そこで千鳥波は物をも言わず猛然と襲いかゝってソプラノ嬢をぶらさげて奥の座敷へ運びこみ、パチパチパチと二十ばかりひッぱたく。六尺三十貫の巨漢だから、
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