を利用したのだと私は思ふ。私がこれを語つてゐるのではなく、「新生」の文章の距離自体がこれを語つてゐるのである。彼は告白することによつて苦悩が軽減し得ると信じ、苦悩を軽減し得る自己救済の文章を工夫した。作中の自己を苦しめる場合でも、自分を助ける手段でしかなかつた。彼は真に我が生き方の何物なりやを求めてゐたのではなく、たゞ世間の道徳の型の中で、世間を相手に、ツジツマの合つた空論を弄して大小説らしき外見の物を書いてみせたゞけである。これも彼の文章の距離自体が語つてゐるのである。
彼がどうして姪といふ肉親の小娘と情慾を結ぶに至るかといふと、彼みたいに心にもない取澄し方をしてゐると、知らない女の人を口説く手掛りがつかめなくなる。彼が取澄せば女の方はよけい取澄して応じるものであるから、彼は自分のポーズを突きぬけて失敗するかも知れぬ口説にのりだすだけの勇気がないのだ。肉親の女にはその障壁がないので、藤村はポーズを崩す怖れなしにかなり自由に又自然にポーズから情慾へ移行することが出来易かつたのだと思ふ。
彼は姪と関係してその処理に苦しむことよりも、ポーズを破つて知らない女を口説く方がもつと出来にくか
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