の東洋的ニヒリズムではない、まあ一番近いのはチエホフだろう。チエホフからポーだ。ポーはボキャヴラリーの面白さに惹かれる、が、ボクが一番惹かれるのはやはりチエホフだ。最初読んだ頃は文学としてではなく精神の糧として読んだ、仏教以下だと軽蔑なんかしなかった。
この間も気狂病院に入っているとき考えたのだが、真善美なんてもっと人間が進歩すると区別がなくなるだろうが、そのとき、今あるもので一番そういう状態に近づいているものはチエホフだと思った。チエホフって奴は永遠の青年だね。フロイドなんかも逆に考えてそう言えるね。福田恆存もそういっていた。真善美なんて過程と段階の区別はなくなって来るものなんだ。気狂病院に居るとよくわかるがね、あそこの医者は皆そういう場所に居るんだ。彼等は人間を見失うところにいる。狂人の世界は、全く動物の世界と変りがない見たいなものだからね。だからどうしても人間を探さなければいられない。従って拠りどころを見つけるために宗教的になるんだが、ボクは言うんだ、そういう人間のギリギリ結着の場所はむしろ文学の中なんかにあるんじゃないか、チエホフなどよんじゃどうですか、とね。無論ボクは宗教に
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