もない、全然モデルもなく全くのフィクション、たゞ事実なのは日本が敗けたということだけだ。
丹羽文雄の『現代史』の失敗は、あゝいったきまった人物を書いたため、モデルに圧倒されている。モデルに縛られて自由がきかなくなったからだ。今度の小説はそこんところを考えた。この次の号あたりでボクの意図がわかってくるだろう。とにかく非常に抱負を持って書いている、小説のスタイルというものをすっかり変えてやろうと思うんだ。
石川淳さんのものは大がい読んでいるが、あの人はボクに似たところがあるよ。淋しい英雄主義だ。ボクはまた獅子文六が好きだ。淋しい思想家で、書くものにコモンセンスが行きわたっている、インテリの見本みたいな人だ。事実学問もあるしね。ボクと石川さんとどちらかといえば石川さんに似ている、ボクは偏狭だし、獅子さんは寛大だね。
芥川賞の委員になったんでいろいろ若い人の作品をたくさん読んだが、やはり由起しげ子なんかいゝね。賞を貰ったやつより、「脱走」のほうがいゝ。ちょっと底光りのするものがある。真鍋呉夫も買うが、素質はいゝんだがまだ作品がついてこない。書き流している。処女作時代からあれじゃだめだよ。
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