実に新鮮な思想だよ。
 ところが日本の職業野球では、学校で鳴らした選手でもプロに来てからは二・三年みっちり下積みをやらなきゃ一人前になれぬようにいう、そういうのは古い、イケナイ考方だよ。アメリカの大リーグの投手で野球をはじめてから一年にならんのに抜擢された奴もいる。天才はいきなりでも天才なんだ。沢村が米国の編成チームを向うにまわして活躍したのも、弱冠京商を出たばかりのときだったじゃないか。
 あのときベーブルースを見たが、スケールが大きい、一流の俳優だね。一芸に達するとは恐ろしいことだ。とにかく全力を出しきっている。スタンドプレーにしても、そのプレーは堂に入っていて、しかもその遊びが決して低くない。全力を出しきって、中味が充実していることが美の要素なんだ。スピード問題にしても、そういう問題が起ったことは当然の気がする。
 これからのスポーツはスピードが中心になる。昔は長距離選手は、スピードがない、短距離選手は持続しないときめられていたが、今では四百|米《メートル》の走者は最初から百米のスピードでゆく、また四百米の走者が千五百米をやらなきゃ駄目だということになって来た。四百米四六秒という独逸《ドイツ》のハルビッヒの記録などを見てもスプリント走法で全コースを走っていることは明瞭だ。
 古橋だって最初の百米からふっとばす泳ぎ方であの大記録を立てゝいるんだ。
 なるほど佐々木基一がいうようにオリンピックの映画の高速度写真で見ると、走幅跳びでオーエンスがスピードに負けて前に倒れている。フォームの点から云えば南部忠平のほうがフォームがきれいだ。然しそれだけにオーエンスのはうが尖鋭だね。南部はフォームが完成していて、女性的だ。その点古橋は野性的で未完成のスゴミがある。
 いつかチルデンが来たね。あのときはもう歳も歳で弱くなっていたが、技巧的には完成されたものだった。だけどチルデンももともとスピード選手だったんだ。日本のデヴィスカップ選手だって、佐藤次郎のような一流はスピード選手だ。藤倉なんか技巧派だから、一流になれない。しかしオーエンスなどは決して技巧的に完成しない人間だね。技巧を完成するためには、スピードを殺さねばならぬ。
 ボクもスピード論で、持続論はきらいだ。スピードのあるのが持続するというのがスポーツの本義だ。そうなると、今度は選手の寿命が問題だがね。大体スピード選手は不
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