、事件が人間を限定し同時に発展せしめるといふ無限の可能と動きの中におかれてゐる。従而彼の文章はそれにふさはしく特殊である。
 彼の小説は一行づつ動いて行く。それも非常に線的な動き方をするのである。百行のうちに二十人くらゐの人物が現れ、なんの肉体もなく線のやうに入りみだれて動きまはつてゐると思ふと、突然それらの人物が肉体をもち表情をもち恰《あたか》も実の人物を目のあたりに見る明瞭さで紙上に浮きでてゐることに気付かなければならないのである。
 文学にはいつも奇蹟が必要だ。然しスタンダアルのこの奇蹟は奇蹟中の奇蹟であつて、スタンダアルの天才にだけ許されたものであつた。直接模倣することは無意味である。

 私は従来の文学に色々の点で不満を持つが、その最も大なるものは人間や人間関係の把握の仕方の惨めなまで行きづまつたマンネリズムに就てである。人間の性格を把握する認識の角度なども阿呆らしく、さういふ約束の世界に住みなれてみると結構さういふ約束ごとの把握の仕方が通用し、実在界を規定するから益々もつて阿呆らしい。
 もとよりスタンダアルの描いた人間は新鮮ではない。彼は性格を主目的に描かなかつたとはいへ
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