をうけているからイヤとは云えず、然し、どうも、縁談などゝいう礼儀正しい公式の世界は私の苦手ですよ。私はレッキとした天下のヤミ屋だからね。だから、あなた、浮気のとりもちだとか、オメカケの世話だとか、そういうクチなら柄にかなっているけれども、縁談ときちゃア、とりつく島がないですよ」
 と、まず頭をかく。これがカンジンなところで、夫婦ゲンカは犬も食わぬ、と云われる通り、カラダを許し合った二人というものは鋭く対立していても、ともかく他人じゃないのだから、こっちのことは、みんな一方の口から一方へ筒抜けになるものと心得ておかねばならぬ。
 大浦博士からこう頼まれたけれども、実は私はこの縁談に反対だと云ってしまうと、一時は衣子を喜ばせるかも知れないが、これがいつどう変るか、相手の二人は他人じゃないということは、これが私の片時も忘るべからざるオトシアナというものだ。
「縁談などゝいうものはマトモすぎるからヤヽコシクて、これがあなた、当世のヤミ商談なら、公定千円の紙、ヤミに流して二千五百円、これを百レン買って二十五万円、これを一万何千部かの本にして一冊七十円、七カケで売ってザッと七十万、諸がゝりをひいて、二十万はもうかる。じゃア買いましょう、ハイお手打ちということになる。話はハッキリしていまさア。縁談という奴は、ソレ家柄だ、合い性だ、そんなモヤモヤしたものは、ヤミ屋じゃ扱えないね。これがオメカケとくるてえと、合い性も家柄もありませんや、年齢も男前もないのだから、月々いくら、これはハッキリ、つまりヤミ屋の扱いものになるんだけど」
 と益々シャッポをぬいでおく。実はこの縁談のカケヒキの方が、ヤミ屋の扱いよりも、もっと複雑な金銭勘定、例のお家騒動という含みの深い係争の根を蔵しているのである。こういう古来の家庭的な損得関係という奴は、ヤミ屋の取引には見かけないモヤモヤネチネチしたもので、たしかに私の気質に向かないことは事実である。
 ところが甚だ奇妙なことが起ってしまった。

          ★

 そのころ私の社に入社してきた婦人記者があった。陸軍大将の娘で、陸軍大尉と結婚して子供も一人ある二十六の夏川ヤス子という才媛だ。
 夫は幼年学校、陸士育ちの生粋の軍人であるから、敗戦にヤブレカブレ、グウタラ、不キゲン、毎日腹を立てゝいる。ヤス子は女子大英文科出身の美貌と才気をうたわれた名題の女で、この人の就職は金銭上のことよりも、家庭の逃避、新生活の発見、人生探求というような意味の方が勝っている。
 掘り出し物だと思ったから、即日なにがしかポケットマネーをつゝんで、入社のお祝いまでに、と差上げると、このときヤス子は例のジロリ、一べつをくれたのである。
 これは社に定まったお手当でしょうか、と私をハッキリ見つめて言うから、いゝえ、私が差上げるお祝の寸志ですと申上げると、それでしたら辞退させていたゞきたいと存じますが、たっていたゞかねばならないものでございますか、と益々ハッキリと見つめて言う。その目が、妙に深く、うるんで、その奥には、私には距てられた何かゞあり、さえぎられているような気がする。私は笑って、
「いゝえ、そんな大問題のものじゃアありませんよ。もとより、それはです。何かの底意がなければ、なにがしの金円を人に差上げるものではありませんな。然しです。あなたが下さいとも仰有《おっしゃ》らないのに人が勝手にくれるものは、あなたがそれを受取っても、あなたは何を支払う必要もない。私はつまり、あなたのような立派なお方に長く社にいて欲しいという考えで、この寸志を差上げるわけですが、これを受取ることによって、あなたに義務の生じることはありませんです。人が勝手にくれる物は、気軽に受取る方がよろしいです。映画を見たり、本を買ったり、靴の一足ぐらいは買えるでしょう。いくらかなりとあなたの人生のお役にたてば、差上げる私の方の満足というものですよ。あなたが妙にカングルと、そのために人生がキュークツになる。万事気軽に受けいれると、万事が気軽に終始する、人生はそんなものです」
 ヤス子は分りましたと受取ってくれたが、そこで私が一夕晩メシに招待して、例の紙の横流しなどザックバランに社のヤミ性をうちあけて、
「かく申さばお分りの通り、私はしがないヤミ屋の一人、たゞ金銭を追いまわしている奴隷ですが、金銭万能というわけではありませんよ。金銭によって真実幸福をもとめうるかどうか、これは問題のあるところですが、金銭をこゝろみずにハナから金銭を軽蔑したり金銭に絶望したりすることは私はとりません。まず金銭をこゝろみて、それによって真の幸福の買えないことに絶望して、精神上の幸福をもとめる、これなら順が立っていますよ。万事こうこなくちゃ、空論だけの人生観は私は信用しないタテマエなんです」
 ヤス子は人生探求というタテマエだから、悪徳に対しては一応甚だ寛大で、あるがまゝ全てを一応うけいれて、という心構えであった。編輯などのことでも、啓蒙とか主義主張も、先ず第一に面白く読ませること、それに気がつく女であり、美名とか、たゞ破綻がないという文章などにはだまされない着実なところがある。
 誘えば一しょに酒席にもつらなり、ダンスホールにもつきあってくれる。けれども、私をジロリと見る。それは警戒の意味ではなしに、性格的な対立からくるものであった。そこで私は、この夏川ヤス子も、必ずやモノにしなければならぬと天地神明に誓いをたてた。
 ある日のこと、私がおくれて出社すると、意外にも、衣子の長女美代子が夏川ヤス子と話をしているではないか。
 これが又、小娘ながら、やっぱりジロリの小娘で、何がさてジロリの母からジロリ的観察によって私の内幕を意地悪く吹きこまれているに相違ないから、一人前でもないくせに、てんから私を見くびっている。こういう未成品のジロリは小憎らしいもので、衣子家飼いならしのよく吠えるフォックステリヤ、その程度のチンピラ小動物に心得て、かねて私の敬遠していた存在であった。
「これは、これは、姫君、よくこそ、いらせられた。意外な光臨じゃないか」
 自宅にいると、こんな時には即座にジロリ、つゞいてプイと座を立つところだが、さすがに小娘のことで、やゝ俯向いて、クスリと笑っている。
 このチンピラがなぜ又ヤス子を訪れたかと云えば、これが又、意外きわまるものであった。
 美代子が附属の女学校へあがったころ、ヤス子は大学英文科評判の才媛で、全校の女王のような存在であった。美代子はチンピラ組の女王であったが、かねて大女王にあこがれたあげく、自分も成人して大学英文科にはいり、あのような御方になりたいと思いつのって、ラヴレターのようなものを差上げて、ヤス子にコンコンと諭されて嬉し涙を流すという古いツキアイの由であった。あげくに初志を貫徹して、目下大学英文科御在学であり、小娘の一念、あなどるべからずである。
 戦禍のドサクサ以来音信も絶えていたが、このたび我が身にあまる悩みの種が起って、姉君に相談したいと手をつくして、住所をつきとめ、かくてわが社へ御来臨と相成った次第の由、悩みの種とは、申すまでもなく、例の縁談のことであった。
 さて姉の君を訪れてみれば、こは又意外、かのエゲツなきヤミ屋の奴めが社長とくる。姉の君の御威光は大したもので、私に対しても、手の裏を返したように、フォックステリヤではなくなった。
 美代子は縁談の相手の男、種則という婦人科医者が嫌いだという。然し私の見るところでは、種則が嫌いではなく、嫌いになろうとしているだけだ。彼女が嫌っているのは、この縁談のフンイキなのである。
 少女のカンはたしかであるから、この縁談にからまるお家騒動的フンイキをかぎだして胸をいためているのである。
「実は私も、その話では、かねて大浦先生の依頼をうけて、美代子さんの御心労とはアベコベに、なんとかマトメてくれというお話があったんだよ。美代子さんのような可憐な小鳩を敵に廻しちゃ、私も地獄へ落ちなきゃならない。私も心を入れかえて、美代子さんの気持を第一番に尊重して、犬馬の労をつくしましょう」
 こうマゴコロをヒレキする。するとチンピラ動物はとたんに喜んで、実は私は、別に好きな人があるのだなどゝ言いだした。こんな文句をまともにきくと、とんでもないことになる。
 この病院に岩本という婦人科の医者がいた。まだ三十だが、手術は名手で、患者の評判が甚だよろしい。大酒飲みで、生一本の男であるが、それだけに、粗野で、私同様、ジロリの女に軽蔑毛ぎらいされる男であった。
 この岩本が美代子を自分の女房にと衣子にそれとなく申入れていたのだが、商売柄、女のことでは浅からぬ経験があるくせに、持って生れた性格は仕方のないもので、性格だけの手法でしか女の観察ができないためか、衣子に内々嫌われていることに気がつかない。患者の評判がよろしいから、衣子も大切にする。岩本の申込みもていよくあしらい、気をそらさぬように努めているうちに、今度の縁談であるから、岩本が持ち前の強情で、対抗的に談判を開始する。あらたに聟たるべき人物は、婦人科の医者であるから、自分の地位にも関係する問題であった。
 この岩本を美代子はかねがね最も嫌っていたのであったが、大浦種則の縁談が起る、そして私が一肌ぬぎましょう、とこうでると、実は私、岩本さんが好きなのよ、と言いだした。これ実に、私という存在に対する無意識の軽蔑の如きものであり、巧まざる嘲弄、もしも私以外の然るべき人物が一肌ぬぎましょう、と持ちかけたら、こんな軽ハズミなことは言わなかったに相違ない。
「おや/\美代子さん、それは本当ですか。そんな言葉を、私がそっくり岩本先生にお取次する、そのとき、岩本先生が、例の猪の如き早のみこみをもって、得たりとばかり、あなたをさらってお嫁にしてしまう。悲鳴をあげても、あの猪の先生にかゝっては、もう、手おくれですよ」
 と、眼にやさしい笑みをこめて睨んであげる。美代子はクスリと笑って、返事をしない。
 こうして見直すと、成熟しかけたジロリの娘、親の顔にやゝふくらみを持たせ、目は細からずパッチリしているが、やっぱり全体どことなく薄く、白々と、父親の酷薄な気性をうけ、父の性もうけ、情火と強情と冷めたさをつゝんで、すくすくと延びた肢体、見あきないものがある。
 そこで私は、この小動物も、万苦をしのび、いつの日かモノにする折がなければ、生れいでた主意がたゝぬと、堅く天地神明に誓いをたてた。
 私は然し、肉慾自体に目的をおくものではなかった。金龍の手練は美事であったし、謎のゆたかな肉体というものならば、私程度の遊び人は、誰しも一生に五人や六人その心当りはあり、然し、そのようなものによっては、我々のグウタラな魂すらも充たされぬものであることを知っている筈のものだ。
 私はすでに三十のころから、単なる肉慾の快楽には絶望していた。
 恥をお話しなければならぬが、私が金龍にコキ使われ、辱しめに堪え、死ぬ以上の恥を忍んで平伏してふし拝んだり、それというのも、肉体のミレンよりも、そうすることが愉しかったからである。
 私というものは、金龍にとっては歯牙にもかけておらぬ奴隷にすぎず、踏んだり蹴ったり、ポイとつまんでゴミのように捨てゝ、金龍は一秒間の感傷に苦しむこともないのである。男女関係に於て、その馬鹿阿呆になりきること、なれるということ、それが金龍を知ることによって、神に授けていただいた恩寵であり宿命であった。
 三人のジロリの女を射とめなければならないこと、そしてそれが特にジロリの女でなければならぬこと、これ又、私の宿命である。
 こう言いきると、いかにも私がムリに言いきろうとしているように思われるかも知れないが、ムリなところは更にない。あべこべに、私の生きる目的が、もはや、これだけのものだ、とハッキリ分ってしまったことが、切ないのである。自分の人生とか、自分の心というものに、自分の知らない奥があり、まだ何かゞある。そう感じられる人生は救いがあるというものだ。
 私のように、自分がこれだけのものだと分ってしまって
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