注意した。彼女が好きであるものに誘うというのは芸がない。彼女が好きな筈であるが、まだ彼女の知らないものに誘い、感謝をうけることが必要なのだ。衣子は感謝を知らない女であっても、要するに彼女の心をある点まで私の方に傾斜せしめることが必要で、そのためには、微細に注意した筋書きを組み立てゝ行くことが必要なのである。彼女は元来が私のようなガラ八の性格に反撥軽蔑する別人種であるのだから。
 ところが私は念には念をいれたあげくに、哀れビンゼンたる手法を用いてしまったのである。由来、恋のかなわぬ恋人というものは、とかく恋仇に恋の手引きをするような奇妙なめぐり合せになるものだが、そのあさましさを知りながら、私もそのハメに自分を陥し入れてしまったのである。
 衣子には恋人があった。亡夫の院長は盲腸だの癌だの内臓外科の手術に名声ある人であったが、その歿後は、亡夫の級友で、大学教授の大浦市郎という博士が週に二回出張して金看板になっている。この人が衣子の恋人であった。
 大浦博士は色好みの人であるから、衣子という一人の女に特別打ちこむようなところはなかったのだが、その財産には目をつけた。そういう人だから、私が砂
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