とで、なぜなら私は金龍によって、金銭上の恩恵を蒙っており、金持ちの客に渡りをつけて、それからそれへ儲けの口を与えてくれるからであった。だから私は金銭上の奴隷として女王に仕えつゝあるうちに、おのずから恋愛の技法を発見するに至ったのであった。
私は一夜、お客をふって中ッ腹でもどってきた金龍の情けをうけて、夢の一夜を経験した。それは金龍に奉仕して四年目、私が二十八、金龍は二十七であった。
そして、奴隷、間夫《まぶ》という関係は、私が三十七の年まで、戦争で金龍が旦那と疎開するまで、つゞき、そして金龍は旦那と結婚して田舎へ落ちついて、もとより私のことなどは、忘れてしまった。
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私がこの手記を書くのは、金龍の思い出のためではないのだ。私ももう四十を越した。私の一生は金龍によって変えられ宿命づけられたようなものであった。
私は二十六の年に平凡な結婚をして、今では三人の子供もある。私は然し、恋愛せずには生きられない。けれども、私にとって、気質的に近い女を手易く口説いてモノにするのは恋ではなく、私の情熱はそのような安直な肉体によって充たされることが、できなくなっていた。私は例のジロリ型の反撥に敵意をいだく女を、食い下り追いつめて我がものとすることだけに情熱を托しうるのであった。それは金龍が私の一生に残してくれたミヤゲであった。
金龍と私との十年の歳月は多事多難であったが、又、夢のようにも、すぎ去った。私は多情多恨であり、思い屈し、千々に乱れて、その十年をすごしはしたが、なにか切実ではなかったような思いがする。
四十にして惑わず、という、孔子は不惑をどの意味で用いたのか知らないけれども、私にとっても、四十はまさしく不惑で、私は不惑の幽霊になやまされているのである。
私の不惑という奴は、人生の物質的発見というような、ちょッと巧《うま》く言い現わしができないけれども、感傷とか甘さというものゝ喪失から来たこの現実の重量感の負担であった。
私自身が昔から人をジロリと見る癖があったというが、そういうジロリの意識の苦しさが、つまり今では私のノベツの時間のような、現実というものにたゞ物的に即している苦しさ冷めたさで、心というものが、物でしかないようで、それが手ざわりであるような自覚についての切なさであった。
それはまさしく不惑なのである。惑うべからざる切実
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