学時代からの精勤であった。そして私は自然のうちに金龍姐さんの幕僚になっていたのである。
私は金龍にコキ使われ、嘘をつかれ、だまされ、辱しめられ、そして手切れだの間男の尻ぬぐいだのに奔走した。
私は然し平然として、腹をたてず、お世辞をつかい、惚れているが、思いがとげられないような切ない素振りをみせた。そうすることが、姐さんの気に入ることが、自然に分ったからである。
それは私の本心でもあった。金龍姐さんの凄腕や薄情ぶりには私もホトホト敬服していた。男なんか屁とも思っていないのだ。そして男をだますことがたのしいのである。たのしいのだか、どうだか、そこまでは知らないけれども、生れつきがそういう天性の根性で、六代目が素敵だとかハリマ屋がどうとか、そんな芸者なみの量見は全然ない。尤も、なんでも知っているし、見てもいる。それも男をだます技術の一つであるからで、三味線や唄も達者なのだが、それがダマシの技術上必要な時でなければ用いたためしはない。万事につけてその筆法で、その意味の専門技術士であった。
私は酒間に、わざと、何年間と思いやつれている人がいるんだけど、一晩ぐらい、なんとか、ならないものかなア、などゝ三日に一度ぐらいは特別の大声で言うのであった。
又、金龍が待合などで風呂へはいるとき、せめて三助でいゝや、玉の肌にふれるぐらいはしてみてえなア、と言ってみたり、実際にガラリ戸をあけて、いかゞ、お流し致しましょうか、と言ったりする。すると例のジロリと一べつ、私は然しイサイかまわず、後へまわって流してあげる。できるだけテイネイに、やわらかく、心をこめて流してあげる。それは尊敬というものだ。この尊敬のまごゝろほど御婦人の心に通じ易いものはない。
だから、そのうちには、昼さがりチャブダイにもたれて雑誌かなにか読んでいるうちに、ふと私の方へ白い脚を投げだして、
「蒸しタオルで足をふいてちょうだい」
イサイ承知と、さてこそ私はマゴコロこめて、毛孔ひとつおろそかにせず、なめらかに、やわらかく、拭いては程よく蒸し直し、それに心根さゝげる。まさしく魂こめるのである。
夏は冷めたいタオルで、膝小僧のあたりまで、ふく。私は然し劣情をころし、そういう時には、決して、狎れず、ただ忠僕の誠意のみをヒレキする。
然しそれは恋愛の技法上から体得したことではなくて、処世上、おのずから編みだしたこ
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