たくない。
 私はどうやらアベコベに、衣子のヤケクソに便乗して待合の門をくゞったが、もとよりそれはここをセンドと私が必死に説得してのアゲクであるが、それとは別に、私はやっぱり淋しかった。
「遊びですよ、奥さん。大浦先生と違って、私は遊びということのほかに、何ひとつ下心はないのです。私はあなたに何一つ束縛は加えませんし、第一、いつまでも、あなたと云い、奥さんとよび、遊びは二人だけのこと、死に至るまで、これっぱかしも人に秘密をもらしは致しません。私はたゞ奥さんを心底から尊敬し、また愛し、まったく私は、下僕というものですよ」
 酔い痴《し》れた衣子は、然し、もうこんな理窟は耳にきゝわけられなかった。
「どうなったって、いゝですよ。野たれ死んだって、私はいゝのよ」
 と、衣子は廻らぬロレツで、私の肩にすがりついて、よろめいている。それはまだしもであるが、
「ねえ、あなた」
 ふと酔眼に火のような情慾をこめて私を見る。もとより理知ある人間のものじゃなくて、キチガイのものだ。私はいさゝかふるえた。泣きたかった。やるせないものである。とは云いながら、私の胸は夢心持にワクワクしてもいるのである。
 衣子はネマキに着代えずにドスンとフトンの上にころがったが、私が寄りそって横になると、さすがに、にわかにキリリとして、
「三船さん、ダメ」
「だって、あなた、今さら、そんな」
 衣子は身もだえて、はゞみ、
「あなた、酔ってるのね」
「いゝえ、酔ってはおりません。私はひどく冷静なんです」
「私は酔ってる。ヨッパライよ。けれども、頭はハッキリしたわ。あなた、約束してくれる。旅行に行っちゃダメよ。私を一人にしちゃダメよ」
「えゝ、えゝ、御命令には断じて服従します。行きませんとも」
 そして私は何とも悲しく、なつかしい思いになった。そして気違いのように衣子のウナジをだいて、接吻の雨をふらしたものだ。
 私はながく眠らなかった。
 衣子が眠ったのを見すますと私は起き上って、枕元に用意させた酒をのんだ。
 何か茫々とした心の涯に、悲しさもあった。然し、あたゝかい愛情がこもっていた。いとしい女よ。私は時間について考えた。この女を口説きつゝあった時間、心に征服を決意してからの長い時間、その時間に起った様々の出来事ではなく、たゞその時間というものだけをボンヤリ意識しているだけだった。それは何か「なつかしさ」
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