事に当る、最も、貴様らの光栄の至りであるぞ。よし、礼!」
 そして、秘書をしたがえて、悠々と出て行った。

          ★

 思いよらざることになった。
「花田さん、ひどいわねえ。唐は中国だったなんて、そんなこと、でも、ひどいわ。ずいぶん、侮辱じゃないの」
「オイ、オイ、スミマセン、アナタ。そんな、個人的な感情問題じゃないぜ」
 と一同を制したのは、一番年の若い、然し、さすがに銀行員上りの、一同の中で一番物の道理の分った堅木という会計係であった。
「カストリ社の運命や、いかに」
「うん、まったくだ。あんな奴に、のさばられちゃ、かなわねえよ、なア。オレは、こんなエロ雑誌はあんまり性に合わねえけど、然し、オレは、詩人だからネ、オレは古くないから、食うためにエロ雑誌をやる、女に生れたら、パンパンやったって、いいんだ。詩をつくりゃ、いゝじゃねえか。だから、オレがこんなカストリ雑誌の記者であるということは、つまり、パンパンの精神なんだ。でもよ。車組の検閲雑誌は、いけねえよ。いったい、アイツは、わが社の、何のつもりなんだ」
「つまり、社長のつもりだろうな」
 一同は花田をジロリと睨み、社長の先生へ目を転じた。
 花田は魂を失い、施す術を失い、たゞもう茫然、ザンキ苦悩、刑死せるキリストの如くにうなだれている。
 社長の先生は、いったん親善使節の紳士に奪取された帰属不明の椅子にもどって、靴をぬいで、足を机に乗っけて、両手を後クビにくんで、天井をにらんでいる。
「ウン、やっぱり、なア。今となっては、あんなカッコウしてみるより、仕様がねえだろうな。だけどさ、ウチの社長は、あれが年ガラ年中のカッコウなんだから、こりゃ、つまり、先天的、没落者の姿なのかも知れねえなア。二十万円、有りゃ、いゝんだろう。二十万円ぐらい、オレがだしてやりたいけど、もう、金歯はねえし、もし、みんなが女だったら、オレが命令を下して、そろってパンパンに出動して、二十万円ぐらい、一週間で稼いじゃうけど、ママならねえよ、なア。でも、なア、ワッハ、悲しいよ、なア、あの姿、ワッハ、アレ、二十万円ないという姿なんだ、ひでえよ、なア、ワア」
「なにィ」
 社長の先生、ジロリと目をむく。それだけである。さすがに、顔色も変らない。
「エッヘッヘ。きこえちゃったか。気の毒だよ、なア。だけど、先天的に、どうも、仕方がねえや。問題は、オレは、先天的なんだと思うんだ」
「まさに、片彦の云う通りじゃよ」
 と、社長の先生、悠々と、然し、いさゝか、悲痛である。
「要するにだよ。オカネというものがなければ、オレが社長であるという意味はない。しかるにじゃ。オレは今日まで、借金のために奔走これつとめ、辛くもなにがしの借金をカクトクすることによって、この椅子にこうして坐って、かくの如くに足を机の上にのッけていたわけじゃよ。身にあまる苦痛であったよ。借金は、苦痛じゃよ。それにも拘らず、なに故に、ワガハイがかくの如くに社長であったかと云えばだな、つまり、自分個人の借金をカクトクせんとすることは、さらに苦痛である。わが社のために借金をカクトクすることは、いくらか苦痛が少いのだな。そこに於て、即ちワガハイは、苦痛少く借金をする、どっちみち、ワガハイは借金によって生活せざるを得ん宿命にあるから、マア、左様なる事の次第によって、ワガハイが今日に至るまで社長であったワケである。ワガハイは社長の椅子にテンタンであり、運命に従順であるから、汝らも、嘆くでないぞ」
「イヤーッ、社長! 先生! オレが、もう、ここで、腹を切る。オレは死に場所を探していたんだ。十年前、あの浅草、あの楽屋、君たち知るまいが、舞台裏で、あのジャズが舞台裏じゃ、階段をこう曲りくねって、這いながら、忍びよる、あれをきゝつゝ、あの時から、ワシは、もう、今日、死のう、明日、死のう、と思っていたんだ。あゝ、然し、かゝる大罪を犯し、皆々様を苦しめて、腹を切る。死は易い、然し、罪がせつないんだ。あゝ、ワシは、苦しい」
 ギャーッ・ギュウ/\という声をたてゝ、花田一郎がエビの形となって泣きふした。
 そのとき、カストリ社の扉をあけ、
「ワア、ひでえ。借金とり退治に熊を飼いやがったんじゃ、ねえだろうな。オレだって、原稿料をサイソクする、借金と同じぐれえ、苦しいもんだよ。こっちの気持も、察しやがれ」
 と、ブツブツ云って這入ってきたのは、社長の先生の友達で、文士の赤木三平という男であった。
「やア、赤木か。近う、まいれ。今日は、景気よく、原稿料を払ってつかわす」
 花田が身も世もあらず、吠え狂っている。三平先生、これを横目にジロリと見て、
「かの男は、歯が痛むのか」
「バカな。あれほど苦しむのは、睾丸炎に限るもんじゃ。今日は、いさゝか事の次第があって、彼はこの場に切腹せんとしておる。同様の事の次第によって、君にも、景気よく、原稿料を払う。どうしても、本日、使いきってしまわねばならぬ残金があってな。エート、原稿料、赤木三平、一万一千円也、これは多すぎる」
「コレ、コレ、五ヶ月分、たまっているのだぞ」
「そうか。然し、端数は切りすてゝ、一万円、即ち耳をそろえ、あと、一万五千円ほど、残っておるから、これより、宴会をひらく。コレ、花田ウジよ、泣くでないぞ。切腹は、とりやめじゃ。ワガハイが、ココロよく社長を退く。それだけのことじゃ。人数が多いから、宴会は、カストリでやる。足がでたら、三平のフトコロに、一万円ある。者共、遠慮致すな」
 と、カストリ横丁の一軒を占領して、大宴会を催した。
 然し、社長をやめりゃ、いゝんだ、と云ったって、そう簡単にやめられるものではない。たった二十万円で、雑誌を売り渡すようなものだ。じゃア、どうすりゃ、いゝんだ。カンタンだ。二十万円、ありゃ、いゝんだ。
 花田は、発頭人であるから、身をきられる切なさである。顔にはださないが、社長の先生の心のうちも、よく分るのだ。なんとしても、二十万円、ほしい。とても、泥棒の勇気はないから、あとの道はたゞ一つ。
 翌日、彼は土井片彦をよんで、
「一生の願いだ。折入って、たのむ。ワシはこれから、二十万円のカタに、イノチをすてに行くから、立会ってくれ」
「オイ、おどかしちゃ、いけねえや。死なゝくたって、いゝじゃないか。ひでえよ。だいたい、オレは、とても心細くって、椅子にこうして腰かけているのが、精いっぱいなんだもの。立会人なんか、できやしないよ」
「オイ、一生の願いだと云ってるじゃないか。たゞ、見とゞけて、後々の証人になってくれゝば、いゝんだ。そんなことのできるのは、ともかく、詩人の、君だけなんだ。君には、とにかく、芸術家の純一な正義と情熱があるんだ」
「ウーン、そうか。そう云われると、なんだか、やらなきゃ、悪いみたいじゃないか。困っちゃったよ。なんだか、変だな。オレは、然し、戦争のときも、兵隊で、特攻隊はキライだったし、あれは、いかんと思うよ。然し、花田氏が死ぬ、オレじゃア、ねえんだな。花田氏が死ぬ、見とゞけるのが、オレか。ついでにオレが殺されちゃア、つまらねえけど、花田氏死す、それをオレが見ている、面白えのかな。面白くなくちゃ、つまんねえけど、わからなくなっちゃった。じゃア、仕方がない。オレ、行くことにしようかな。心細くなっちゃったな」
 と、二人は肩幅一メートル氏に案内されて、車組社長を訪ねて行った。

          ★

「私がフツツカで、双方の意志を通すことができませず、拝借の二十万円は、使い果してしまいました。すべて、私の責任ですから、社で切腹をと考えましたが、切腹しても、二十万円のカタがつくわけではありませんから、お詫びに参上致しました。二十万円の代り、突くなり、斬るなり、お気のすむように、存分にやって下さい」
 と云って、花田一郎は、目をとじた。
 小心者で、ちょッと針で突かれても、アッチッチと悲鳴をあげる弱虫であった。然し、彼は、まったく、覚悟をきめたのである。
 悲愴な覚悟だ。
 全然余裕がないから、覚悟はヒタムキで、正座して目をとじた姿には、迫力があった。斬られるのは、痛い、苦しいと語っている。然し、それでも、死なねばならぬと観念している。見方によれば、滑稽でもあった。
 国際使節は、花田一郎の覚悟のほどが、はかりかねて、土井片彦にギロリと一睨み、
「お前もか」
「違うよ。冗談じゃないよ」
 片彦は、大いに慌てた。
「オレは来たくなかったけど、立会人に来てくれというから、だから、云わないことじゃないよ。オレは、そもそも、死ぬッてことが、一番キライなんだ。でも、いずれ、死なゝきゃならない。これが、変なことなんだな。それでもって、色々、ワケがわからなくなって、このワケは、いまだに、誰にも分らない。人間の知識は、アサハカですよ」
「つまり、花一はじめ、お前ら、チンピラ記者ども、オレの社長じゃ、イヤだと云うのだな」
「ハア、つまり、そうです。ですから、私が責任を負います」
「二十万円が、不足か」
 花田は、目をとじて、答えない。
 すると、片彦が、
「そうだなア、それは、オレも気がつかなかったな。オレは、どうせ、パンパンだから、金で身売りか、それだったら、考えてみても、いゝかも知れねえな」
「オイ、よけいな口をだすな」
「いゝよ、云ったって、いゝじゃないか。君の問題とは、また、別だもの。オレは、パンパン的に、考えてるんだ。然し、現在、出版界の相場で、身売りに十万単位はいけねえと思うな。先に、アネモネ出版が身売りのとき、二百万だか、三百万だか、五百万ぐらいかも知れねえなア。やっぱり、こっちは、高く売るほど、いゝんだから、パンパンも、むつかしいもんだな。わからねえや」
 そのとき、国際親善紳士、グイと身をひねって、
「この男を見損うな。この無礼者!」
 タタミをグンとふみ、片腕で、力イッパイ、タタミをたゝいた。
「このオレが、貴様らの、カストリ雑誌の、社長に、なりたがって、いるとでも思うか。貴様ら、天下の車組の社長、車善八を、貴様ら如きチッポケな雑誌の社長に見立てゝ、オレが、そんなものに、なると思うか」
「イヤ、社長、そうじゃないです。私は、わが社の社長問題などには毛頭ふれておりません。あなたが、自分から、言われたのです。私は、二十万円のお詫びに、突くなり、斬るなり、お気のすむようにして下さい、と申したゞけです」
 花田一郎は蒼白だ。後へは、ひかぬ。死ぬ覚悟である。
 いきなり、グアッと、メリケン。花田のからだは、ふッとんだ。ぶッ倒れ、動かない。鼻血があふれてきた。片彦は慌てゝ、二三歩うしろへ忽ち、逃げのびて、
「オレは、違うですよ。単なる、立会人だからね。オレは、しかし、終戦以来、とても、運が悪くッて、こまッちゃうよ。オレ、先日、スシ屋で、ほかの男と間違えて、ケンカをうられて、違いますよ、オレじゃないよ、と云ってるのに、ポカポカなぐられちゃって、運が、わりいよ。オレのオフクロ、子供んときから、成田のオマモリなんか持たせやがって、それが割れちゃったりして、つまらねえことまで、ネザメが悪くって、どうも、気分がよくねえよ。人を、まちがえちゃ、いけねえなア。心細く、なっちゃうよ」
 三分か、五分ぐらい、たった。国際親善紳士は、だまって、睨みつけている。
 花田は、ぶっ倒れて、鼻血をさかんに吹きあげて、依然、目をとじたまゝ、微動もしない。死んだのか、生きているのか、意識があるのか、ないのか、分らない。
 国際親善紳士が、スックと立ち上った。片彦はバネ仕掛にとび上って、逃げ腰となって、
「いけねえな。心臓が、弱くなるよ。オレは、全然、ちがうんだから、まちがえちゃ、いけねえなア。危ぶねえなア。オット、いけねえ」
「つまみだせ」
 秘書に云い残して、大紳士は立ち去った。
「ハア、ボクが、つまみだします」
 片彦は肩幅一メートル氏の顔色をうかゞいながら、
「たのみます。つまみだしても、いゝですか。死んでるのかな。いいですか、ゆさぶッても。オレを、なぐっちゃ、いけねえなア。なんだか、なぐられそうで、行かれねえ
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