るへながら目的地のアルジに車代を払つて貰ふ、人生至るところたゞもう卑屈ならざるを得ない。おまけに金がかゝる。お金持は自動車にのる必要などはないものだ。
彼の女房は彼の貧乏にあつらへ向きであつた。貧乏を友として遊ぶていで、決して本心貧乏を好むわけではないけれども、自然にさうなつた。それは庄吉の小説のためだ。
彼の小説の主人公はいつも彼自身である。彼は自分の生活をかく。然し現実の彼の生活ではなくて、かうなつて欲しい、かうなら良からうといふ小説を書く。けれども、お金持になつて欲しい、などと夢にも有り得ぬそらごとを書くわけには行くものではなく、作家はそれぞれ我が人生に対しては最も的確な予言者なのだから、彼が貧乏でなくなるなどとは自ら許しあたはぬ空想で、芸術はかゝる空想を許さない。彼の作中に於て彼は常に貧乏だ、転々引越し、夜逃げに及び、居候に及び、鬼涙村(キナダムラ)だの風祭村などゝいふところで、造り酒屋の酒倉へ忍びこんで夜陰の酒宴に成功したりしなかつたり、借金とりと交驩《こうかん》したり、悪虐無道の因業オヤジと一戦に及び、一泡ふかしたりふかされたり、そして彼の女房は常に嬉々として陣頭に立ち
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