なく、彼の実人生が又、彼の夢であつた。
 然し、夢が文学でありうるためには、その夢の根柢が実人生に根をはり、彼の立つ現実の地盤に根を下してゐなければならない。始めは下してゐたのである。だから彼の女房は夢の中に描かれた彼女を模倣し、やがて分ちがたく似せ合せ、彼等の現実自体を夢とすることができたのだ。
 彼の人生も文学も、彼のこしらへたオモチャ箱のやうなもので、オモチャ箱の中の主人公たる彼もその女房も然し彼の与へた魔術の命をもち、たしかに生きた人間よりもむしろ妖しく生存してゐたのである。
 私は然し、彼の晩年、彼のオモチャ箱はひつくりかへり、こはれてしまつたのだと思つてゐる。彼の小説は彼の立つ現実の地盤から遊離して、架空の空間へ根を下すやうになり、彼の女房も、オモチャ箱の中の女房がもう自分ではないことを見破るやうになつてゐたのだ。
 庄吉だつて知つてゐた筈だ。彼の女房のイノチは実は彼がオモチャ箱の中の彼女に与へた彼の魔力であるにすぎず、その魔力がなくなるとき、彼女のイノチは死ぬ。そして彼が死にでもすれば、男もつくるだらうし、メカケにもならう、淫売婦にもなるであらう、といふことを。
 彼の鬼
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