るへながら目的地のアルジに車代を払つて貰ふ、人生至るところたゞもう卑屈ならざるを得ない。おまけに金がかゝる。お金持は自動車にのる必要などはないものだ。
 彼の女房は彼の貧乏にあつらへ向きであつた。貧乏を友として遊ぶていで、決して本心貧乏を好むわけではないけれども、自然にさうなつた。それは庄吉の小説のためだ。
 彼の小説の主人公はいつも彼自身である。彼は自分の生活をかく。然し現実の彼の生活ではなくて、かうなつて欲しい、かうなら良からうといふ小説を書く。けれども、お金持になつて欲しい、などと夢にも有り得ぬそらごとを書くわけには行くものではなく、作家はそれぞれ我が人生に対しては最も的確な予言者なのだから、彼が貧乏でなくなるなどとは自ら許しあたはぬ空想で、芸術はかゝる空想を許さない。彼の作中に於て彼は常に貧乏だ、転々引越し、夜逃げに及び、居候に及び、鬼涙村(キナダムラ)だの風祭村などゝいふところで、造り酒屋の酒倉へ忍びこんで夜陰の酒宴に成功したりしなかつたり、借金とりと交驩《こうかん》したり、悪虐無道の因業オヤジと一戦に及び、一泡ふかしたりふかされたり、そして彼の女房は常に嬉々として陣頭に立ち、能なしロクでなしの宿六をこづき廻したりするけれども、口笛ふいて林野をヒラヒラ、小川にくしけづり、流れに足をひたして俗念なきていである。
 さういふ素質の片鱗があることによつて、庄吉がさう書き、さう書かれることによつて女房が自然にさうなり、自然にさうなるから、益々さう書く。書く方には限度がないが、現実の人間には限度があるから、そんなに書いたつてもうだめといふ一線に至つて悲劇が起る。
 思ふに後の作品も限度に達した。かうなつて欲しいといふ願望の作風が頂点に達し或ひは底をつき、現実とのギャップを支へることができなくなつたから、彼には芸術上の転機が必要となり、自らカラを突き破り、その作品の基底に於て現実と同じ地盤に立ち戻り立ち直ることが必要となつた。然しそれが難なく行ひ得るものならば芸術家に悲劇といふものはないのである。

          ★

 庄吉の作品では一升ビンなど現れず概ね四斗樽が現れて酒宴に及んでゐるから文壇随一のノンダクレの如く通つてゐたが、彼は類例なく酒に弱い男であつた。
 元々彼はヒヨワな体質だから豪快な酒量など有る由もないが、その上、彼は酒まで神経に左右され、相手の方
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