で、ウヌボレばかり先に立ち徒《いたず》らに力みかへつて精進潔斎、創作三昧、力めば力むほど空疎な駄文、自我から遊離した小手先だけ複雑な細工物ができあがるばかり、苦心のあげくにこしらへものゝ小説ばかりが生まれてくる。
 庄吉は近代作家の鬼の目、即物性、現実的な眼識があるから、もとより這般《しやはん》の真相は感じもし、知つてもゐた。そのくせ時代の通念がその自覚に信念を与へてくれず、自信がなくて、彼は徒らに趣味的な文人墨客的気質の方に偏執し、真実の自我、文学の真相を自信をもつて知り得ない。
 だから金が欲しくてたまらなくとも、通俗雑誌には書かないとか、雑文を書いちやいけないとか、注文をつけてきたからイヤだとか、まことの思ひとウラハラなことを言つて、徒らに空虚に純粋ぶる。
 東都第一流の大新聞から連載小説の依頼を受けて、燃え上るごとくに心が励んだけれども、子供の学校のこと、女房のこと、オフクロの顔を見てたんぢや心が落付かないんだ、下らぬ文人気風の幻影的習性に身を入れて下らなく消耗し、ともかく小田原の待合の一室を借りて日本流行大作家御執筆の体裁だけとゝのへたが、この小説が新聞にのり金がはいるのが四五ヶ月さきのこと、出来が悪くて掲載できないなどと云つたらこの待合の支払ひを如何にせん、そんなことばかり考へて、実際の小説の方はたゞ徒らに苦吟、遅々として進まない。
 せつかく燃えひらめいた心の励みも何の役にも立たなくなり、いつたん心が閃いたゞけ、遅々として進まなくなり、わが才能を疑りだすと、始めに気負つた高さだけ、落胆を深め、自信喪失の深度を深かめる。徒らに焦り、たゞもう、もがきのたうつ如く心は迷路をさまよひ曠野をうろつく。
 元々彼の近作はその根柢に於て自我の本性、現実と遊離し苦吟の果の細工物となり、すでにリミットに達してゐた。このリミット、この殻を突き破り一挙にくづして自我本来の作品に立ち戻るにはキッカケが必要で、それには心の励みが何よりの条件になるものであるのに、天来の福音をむざむざ逃して、今では福音のために却つて焦りを深め、落胆をひろげ、心を虚しくしてしまつた。
 待合の一室に無役に紙を睨んで、然しうはべは大新聞御連載の大作家、膝下に参ずる郷里の後輩共を引見して酒、酔つ払つてむやみに威張つて、おい大金がはいるんだから心配するな、むかしの三枝さんと違ふんだからな、酒はどうも胃にも
前へ 次へ
全24ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング