新聞雑誌の彼の作品をきりぬいてつめたミカン箱は彼の大切な爪の跡だ。あれがなくなるとオレがなくなるのだとオロオロし、すつかり陰鬱にふさぎこんでゐるのに同情した後輩の栗栖按吉といふカケダシの三文々士が借金を払つてミカン箱をもつてくると、庄吉は大よろこび、その日からこのミカン箱を枕もとに置いて深夜に目ざめてはミカン箱をかきまはして旧作を耽読し、朝々の目ざめには朗々と朗読する、酔つ払へば女房を膝下にまねいて身振り面白く又もや朗読、自分の最大の愛読者は作者自身、次には女房、元々彼女は大愛読者で、女学生のとき庄吉先生を訪問したファンであり、それより恋愛、結婚、だから愛読の歴史はふるい。そのときから彼女自身切つても切れない作中人物の一人となつたが、作中の自分がいかにも気に入るから、さうなりませうと現実の自分が作品に似てくる。芸術が自然を模倣し、自然が芸術を模倣する。それといふのも、作品に彼女を納得させる現実性があつたからで、どれほど幻想的でも、作品の根柢には現実性が必要で、現実に根をはり、そこから枝さしのべ花さくものが虚構である。
ところが宿六の近作はだんだん女房を納得させなくなつてきた。つまり作家の根柢からして現実とはなれてきたのだ。
彼は女房を愛してゐたが、然し、浮気の虫はある。これもやつぱり女学生のころ彼を訪ねたことのあるファンの一人がバアの女給となつた。新東京風景といふのを何十人かの文士が書いてその日本橋を受けもつた庄吉が偶然その探訪に於て彼女とめぐりあひ、それより酔ふとこゝへ通つてセッセと口説く。然し彼女は昔の彼女ならず、お金持の紳士となら三日でも一週間でも泊りに行くが、庄吉ときてはとてもバアでは飲む金がなくて、後輩お弟子とオデン屋でのむ、後輩お弟子にまだいくらか所持金のあるのを見とゞけると、あそこへ連れて行け、者共きたれ、といでたつ。同輩先輩をつれて行かないのは女の前で威張れないからで、そこで後輩をひきつれて大いに威張るけれども、お金がなくて威張り屋といふのは娼婦の世界で最も軽蔑されるもので、女学生時代のファンなどゝ庄吉はまだそこにつけこむ魂胆だが、先方ではもう忘れてゐるツナガリにつけこまれるウルササに益々不愉快になつてゐる。けれども庄吉は酔つ払ふと必ずこゝへ乗りつけて、前後不覚に口説き、追ひだされ、借金サイソクの書状やコックが露骨にくる。それでも酔ふと又でかけ再
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