小平や狼に殺される覚悟でやれ、といふことだ。親切にしてやつたのに裏切られたからもう親切はやらぬといふ。そんな親切は始めからやらぬことだ。親切には裏切りも報酬もない。小平や狼の存在が予定せられ、親切のおかげで殺されても仕方がないといふ自覚の上に成立つてゐる絶対の世界なのである。
 いつたん裏切られれば崩れてしまふやうな親切を美談だと云ひ、道義頽廃嘆くべしといふ、それ自体浅はかなるエゴイズムではないか。闇の女は自由と放恣をはきちがへてゐる困つた代物だといふのだが、家庭を呪ひ自由をもとめて飛び出すのは闇の女には限らない。出家遁世も同じことではないか。闇の女になるには坊主になるよりもつと苦しい一線を飛び越す必要がある。出家遁世はほめてくれる人はあるが、闇の女は世の指弾を受けるばかりである。諸君は罪を知つてゐるか。罪とは何ぞや。貞操を失ふ女は魂の純潔も失ふ、と。然り。家庭に安住する貞淑にして損得の鬼の如き悪逆善良なる奥方を見よ。魂の純潔などはない。魂の問題がないのである。
 ラスコリニコフは淫売婦に跪く、彼女は汚辱にまみれてゐるがその魂は一滴の淫蕩の血にも汚されてゐない、と。そして偉大なる罪に跪
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