明確に書き上げた日本人の手記というものは、滅多にないのであります。これなどは実に特別な、特殊の例なのでありまして、殆んど、いや全ての者は、物事の本態を見るということを忘れているのであります。いつでも他人の思惑が考えられていまして、独立の個人の自由な考えとか、観察方法とかは許されていないし、許されなければブチ破ってやろうという人物はいなかったのであります。ニッポン人にとっては、毎時でも、もっと一般的な、嘘があってもかまわぬから一般的でさえあればいいというような調子がお得意なのでありまして、相も変らず、ハッタとにらんだとか、烈火のごとく憤ったとかいう云い方、そういう方式、どうにでもなるというような一般的な観察で片づけてしまおうとする考え方、従ってそのような手記、記録がぞくぞくと現れているのであります。むしろ、そればかりであります。
このような観察の仕方にくらべますと、ヨーロッパ人たちの物事の見方というものは、個々の事物にしかない、それぞれのその物事自体にしかあり得ないところの個性というものを、ありのままに眺めて、それをリアルに書いておりますので、それだけに非常に資料価値が高いのであります
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