。もともとニッポン人というものは、実際は礼儀正しいところがあるものなのでありますけれども、元来よい人間というものは、むしろ却ってザックバランなものなので、そんなに糞真面目に人と応対などはしないものであります。弥次郎は、おそらくはザヴィエルに対して、何事につけても非常にしかつめらしい態度で応待しておったんだろうと思います。ザヴィエルはそれを大変に信用しまして、おそらくニッポン人というものについての最初の観念におきまして誤っておりましたので、ニッポン人を見る眼に誤解が起ったんだろうと思われる節があります。
ここにまた面白い事があるのでありますが、私がなぜ弥次郎をそんな人間であるかと申しますかというと、たとえばザヴィエルが――
「ニッポン人は、私が行って布教をしたら、すぐにキリスト教徒になるだろうか?」――という風に弥次郎にたずねましたところが、弥次郎が答えまして――
「いや、ニッポン人というものは非常に理屈っぽい国民で、すぐにはキリスト教徒にはならぬ代りに、道理というものを飲みこめば、改宗します」
――という風に答えております。こういうところは、ニッポン人観というものが大いに正確であり
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