坊主をやっているのだから、殿様の死んだ時には、自分としては、お寺へ葬らなければならぬ。それは仕方のないことなのだから、そいつだけはどうか勘弁して呉れないか」
 というようなことを云って頼んでいる。
 そうするとアルメードは、
「それは不可《いか》ん。貴方は、名誉とか地位とか、そのようなものは、すべて捨ててしまいなさい。すべてを捨てなければ、洗礼を授けるわけにはゆかない」
 と判っきり答えています。それでとうとう、ニンジは洗礼を授けて貰えなかったのであります。アルメードは帰国し、再来し、さらに三度目にサツマへ参りました時には、ニンジは死んでおったのでありますが、死ぬ時に、洗礼を受けないで死ぬのはまことに残念だ、という遺言のあったことをアルメードが聞いていることが、伝わっております。
 この禅僧とカトリック僧侶との交渉は、もう一つあるのでありますが、フランシスコ・ザヴィエルは、ニンジに会ってから後に豊後《ぶんご》へ行きました。そうして、フカダジという禅僧と会っているのであります。この時に、フカダジは、ザヴィエルの顔を見まして、
「あなたは何処かで見たことのある顔ですが、如何がですか、私の顔に見覚えはありませんか?」
 と聞いたのであります。
 それを聞いて、ザヴィエルはびっくりしました。一度もこのニッポン人とは会ったことがない、従って顔を見たことがないのでありますから、驚くのも無理はありません。そこで次のように答えたのであります。
「いや、あなたの顔は見たことがありません」
 この答を聞いて、フカダジは大笑いをしたのであります。そして自分の寺へちょうど来ていた、ほかの禅僧のほうを向きまして、
「この人は、おれの顔を見たことがないなどと云うが、大変な嘘つきだよ」
 というようなことを云ったのであります。話しかけられた禅僧もフカダジの云うことが分ったような顔つきをしていましたが、ザヴィエルには納得がいかないのであります。これは納得のいかないのが当然なのでありまして、ザヴィエルは、
「これはおかしなことを聞くものだ。私は曾つて嘘というものをついたことがない。今も嘘をついた訳ではないのだ。どうして、私を嘘つきだなどと云うのです」
 となじったのであります。
 フカダジはそう云われて、こんな答をしております。
「あなたは、そんなに白っぱくれていられるけれども、今からちょうど千五百年前に比叡山で、私のために金を五百貫見つけて呉れた商人というのが、あなたじゃありませんか。それを忘れて貰っちゃ困る。それともあなたは、ほんとに忘れたのですか?」
 こんな言葉であります。
 これは、そもそも禅問答なのであります。
 ザヴィエルのほうは、そんなことは頭のなかに初めからはいっていない。禅問答の要領などというものは、御存知ないのであります。これは知らないのが当然であります。まるっきり問題になっていない。ですから、このフカダジという坊主を、大変な出鱈目をしゃべる奴だと思ったのであります。そこで、
「あなたは一体、幾歳になるのですか?」
 とフカダジに聞きました。
 フカダジは答えて曰く、
「私ですか、私は五十二才です」
 すると、ザヴィエルは、
「五十二才という人間が、千五百年前に、比叡山で金を貸すことが出来るということは、おかしいではありませんか。そんなことはあり得ない。あなたは、どうしてそんなことを云うのですか」
 と問い詰めたのであります。
 これには禅僧もすっかり参ってしまったのであります。
 つまり、禅には禅の世界だけの約束というものがあるのでありまして、そういった約束の上に立って、論理を弄しているものなのであります。すべては、相互に前もって交されている約束があって始めて成り立つ世界なのであります。
 例えば、「仏とは何ぞや?」と問いますと、
「無である」「それは、糞掻き棒である」とか云うのです。
 お互いにそういった約束の上で分ったような顔をしておりますけれども、それは顔だけの話なんであります。分っているかどうかが分らないのであります。
 ですから、実際のところは、仏というものは仏である、糞掻き棒は糞掻き棒である、というような尋常、マットウな論理の前に出ますというと、このような論理はまるで役に立たないのであります。そして、このような一番当り前の論理の前に出まして、それを根本的に覆えすことの出来る力がどんなものだか、どこにあるかと云いますと、それは実践というものと思想というものが合一しておるところにしかないのであります。
 ところが、このような生き方は、禅僧にとってはまことに困難なのであります。それで、禅僧というものは、約束の上に立っている観念でだけものごとを考えているばかりでありまして、実践がない。悟りというようなものを観念の世界に模索しておるの
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