。もともとニッポン人というものは、実際は礼儀正しいところがあるものなのでありますけれども、元来よい人間というものは、むしろ却ってザックバランなものなので、そんなに糞真面目に人と応対などはしないものであります。弥次郎は、おそらくはザヴィエルに対して、何事につけても非常にしかつめらしい態度で応待しておったんだろうと思います。ザヴィエルはそれを大変に信用しまして、おそらくニッポン人というものについての最初の観念におきまして誤っておりましたので、ニッポン人を見る眼に誤解が起ったんだろうと思われる節があります。
ここにまた面白い事があるのでありますが、私がなぜ弥次郎をそんな人間であるかと申しますかというと、たとえばザヴィエルが――
「ニッポン人は、私が行って布教をしたら、すぐにキリスト教徒になるだろうか?」――という風に弥次郎にたずねましたところが、弥次郎が答えまして――
「いや、ニッポン人というものは非常に理屈っぽい国民で、すぐにはキリスト教徒にはならぬ代りに、道理というものを飲みこめば、改宗します」
――という風に答えております。こういうところは、ニッポン人観というものが大いに正確でありまして、仏教の知識が何一つなかったと思われる弥次郎にも似合わない、人間観察の正しさを見せております。
また、ザヴィエルがポルトガルの船に乗ってニッポンに行こうと申しました時に、弥次郎はそれに答えて、――
「ポルトガルの船乗りというやつは非常に好色で、ニッポンの港へやって来てもとても評判がよくないから、あんな船へ乗っていったら、キリスト教の名声を落します。ですから、シナの船に乗りなさい」
――と云って、シナの船に乗せたということであります。こういうことも、ニッポンの歴史家は、弥次郎がこんなことを云ったことは一種の伝説だろうと軽く片づけていますけれども、私はそこに弥次郎の本音があるのだろうと思います。弥次郎は、非常に遊び人的な風格を持った人間でありますから、そういう船乗の生活というものがニッポン人に反撥されるということは、非常によく、実感をもって、知っておったのだと思われるのであります。
この弥次郎に伴われまして、フランシスコ・ザヴィエルはニッポンに参ったのでありますが、ニッポン人は大歓迎をいたしたのでありまして、初めのうちは押すな押すなの繁昌というわけであります。何しろ七人ほど黒ん坊を一緒に連れて参りましたので、その黒ん坊を大変珍らしがってニッポン人が押しかけました。
サツマの殿様の島津さんに謁見いたしまして、布教の許可を受けることができました。この時にザヴィエルが、鹿児島のフクソウ寺のニンジという高僧と友だちになりました。このフクソウ寺というのは、鹿児島の島津家の菩提寺だそうで、当時百人ほどの禅僧がおったと申しますから、非常に大きなお寺、サツマで最大のお寺であり、そこのニンジという禅僧は、サツマきっての傑僧であったのだと思います。
ザヴィエルは、このお寺を借りまして、キリスト教の説教を始めました。
フランシスコ・ザヴィエルは、フクソウ寺の傑僧ニンジと、毎日のように顔を合せていますし、いろいろなことで友達になったのでありますが、ニンジとは種々の話題をつかまえて話をしておりまして、それが記録みたいなものに残っております。
ザヴィエルが或る日、フクソウ寺へやって行きますと、百人ばかりの坊主が坐禅をやっておるところでした。これは変った風景に見えたことでありましょう。
ザヴィエルは、
「あれは、一体、何を為ているのですか?」
と聞いたのであります。
ニンジは、
「あゝ、あれですか、あれは瞑想しているのです。目下、苦行をしているのですよ」
と答えたのであります。
これがザヴィエルには、なかなか合点が行かない。
「瞑想と云ったって、あんなふうなことをしていて、そもそも、何を考えているんですか?」
と聞かざるを得なかったのであります。
この問いを耳にすると、ニンジはにっこりと笑いまして、
「いや、あの連中のことですから、どうせ碌なことは考えているわけがありません。おおかた、明日の御布施がどのくらい集まるだろうとか、出かけて行った先きの檀家で、どんな料理が出るだろうとか、そんなことをでも考えているんでしょう。大したことは考えていませんよ」
というような返事を与えたのであります。
この答えはまことに象徴的なものでありまして、禅宗の坊主としては、なるほど云いそうなことであります。尤もな話なのであります。ニンジというこの坊さんが、当時のいわゆる傑僧であり、また事実上でも高僧と云われているような人物でありますだけに、このような言葉には意味があるのであります。大体が、禅というものは人間の持っている人間性、その全べてのものを、そのままに肯定する
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