」とはねつけたのであります。
ザヴィエルは、こう云われて、諦らめてしまいまして、山口へ帰ったのであります。ザヴィエルはそこで考えました。――もう将軍に会っても、こんな混乱した時代じゃ意味がない、会ったって無駄だ。贈り物も将軍なんかにはやらない、山口の殿様にやってしまおう。――
ザヴィエルは贈り物を山口の殿様に呈上することに極めましたが、前に将軍にあって懲りたことがありますから、今度は身なりに気をつけました。
きらびやかに盛装をいたしまして、山口の殿様に会い、贈り物をすると、殿様のほうではその威容に打たれまして、尊敬の念をおこしました。そうして直ぐに、布教の許可をもらうことが出来たのであります。盛装と贈り物がモノを云ったことになります。
それから、ちょうどこの頃のことでありますが、例の豊後と申す土地へ、ポルトガルの商船が一艇やってまいったのであります。もっとこまかく申しますと、豊後の府内というところの直ぐそばにある臼杵(ウスキ)と申す所へ参ったのであります。
このポルトガルの商船のなかで、東洋の布教師であるフランシスコ・ザヴィエルが山口に来ているという話だから、一つ呼ぼうではないかということになりました。使いの者の言葉を聞いて、ザヴィエルが臼杵までやって参りますと、船のほうでは、それ東洋布教師が来たのだ、というわけで、船中の全員がそろって盛装して出迎えに行ったのであります。
一方、ザヴィエルのほうはどうかと申しますと、いつものとおり乞食に似たような姿恰好をいたしまして、馬へもカゴへも乗らずに徒歩でやって参ります。それだけならまだいいのでありますが、ザヴィエルは、旅の途中で熱病にかかりまして、身体に熱はあるしだるいしという訳で、フラフラしながらやって来たのであります。
みんなが、
「どうか、馬に乗って下さい」
と云ってすすめても、云うことを聞きません。仕方がないから出迎えに来た盛装の連中も、みんな馬に乗っていましたのに、わざわざ降りてしまいまして、そうしてザヴィエルの後からぞろぞろと随《つ》いて参ります。そうして、いよいよポルトガルの船の碇泊をしております所まで参りますと、六十三発の大砲をぶっ放しました。
臼杵の城内では驚きました。そら、ポルトガルの船が海賊と戦争を始めたというので、あわてて兵士をくり出しまして、あわてて救援に参ったのであります。駛《か
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