でありますから、智力というものに頼ってはいても、実際の自分の力なるものがどのくらいあるのか、分っておる人間はいないのであります。ですから、カトリックの坊さんのように、実践ということに全べてを賭けている宗教家、その実際的な行動の前には、禅僧は非常に脅威を感じるのであります。自分の実力のなさ、みすぼらしさを感じるわけであります。そうして、禅宗を信じる者が、僧侶でありながらカトリック教へ転向するということが、大いに流行したのであります。それは、今日、われわれが想像いたしますよりも、遥かに多数なのであります。これは今日から見ますと驚くべきことではありますけれども、事実なのでありまして、それは記録に残っておるのであります。
 このフカダジとの問答などがありましてから、ザヴィエルは鹿児島を去って山口へ行きました。
 山口で布教をいたしましてから、さらにザヴィエルは京都へ行ったのでありますけれども、その当時の京都は、戦争のまっ最中でありまして、一体ニッポンという国の主権がどこにあるのだか、それが分らないという目茶苦茶な状態にあったのであります。これにはザヴィエルもまごついたのであります。併し、宣教師一流のしつっこい、熱心な探索によりまして、ようやくのことで、足利将軍の逃げまわっている姿を見つけ、つかまえて、ニッポンに布教を許してくれるようにと頼んだのであります。こいつは当時にあっては大変な仕事であったでありましょう。とにかく、ザヴィエルはそれをやってのけたのでありますが、こんなところにもカトリック僧の実践力をうかがうことが出来るのであります。
 ところで、このザヴィエルの布教の許可の願いに対して、足利将軍のとった態度というのがはなはだ妙なのであります。ザヴィエルはその時に乞食みたいな恰好をしておりました。一見したところ、如何にも見すぼらしい僧侶でありまして、どうもこれが高僧とは思えない。全然、威厳というものがないのであります。これには将軍ががっかりした。ですから将軍のほうは、
「お前は、おれに対してそういうことを頼んでいながら、そもそも贈り物というものを持って来ているのか?」
 と問いただしました。ザヴィエルは、
「贈り物は山口においてあります。ここまでは、あまり長い旅行だったものですから、持って来ていない」
 と答えたのであります。将軍はそれを聞くと、
「贈り物がなければだめだ
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