る物もない人間が、はるかに余裕ある生活を営んでいる。九ツぐらいの子供が悠々とタバコをお吸いになって、十円めぐんで下さるのである。
 然し、これを要するに、ひとたび混乱期にぶつかるや、生活拠点も思想信念も見失い、礼儀も仁義も見失って、子供の原始そのままの生活力や仁愛にも敗北してしまう平常時の訓練や教養というものが、つまり何か大事な心棒が欠けていたのだということ、これを知って出直すことが目下我々への最大な教訓じゃないかと思う。

     大衆は正直

 街頭録音の農林大臣が、私もヤミ米を食べていますと言って群集の歓呼をうけた。大衆は理論はないが、正直なものだ。日本の政治家は自分はヤミをやらないような顔をして政治を押しつけていた。それで国民が納得できるものではない。
 然し、農林大臣の正直らしい告白も、大臣としてでなく私人としてヤミをやってる、とあっては怪しいものだ。私人の腹の裏側に大臣という霞を食う腹があるのかな。このアイマイな表現から察せられることは、窮余の告白であるにすぎず、ヤミをやらずに生きられぬ現実のマットウな認識には欠けており、つまりこの現実の矛盾を合理化する政策の成算はもたな
前へ 次へ
全39ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング