きである。久板君自身が、謝罪要求は告訴に於てなすべきだ、と言明しているのは、これが文学者の当然な態度であり、覚悟であり、慶応大学生諸君も久板君の態度から学ぶところがなければならない。
文学者は、その作品に対して常に全責任を負うているもので、人間の名に於て裁かれることを常に最も怖れつつしんでいるものである。社会的責任については、文学者個人として、文学の名に於て裁きに服し得ざるもので、社会人としての責任に於て裁かれ服罪すべきものだ。文学者は法律によって裁かれるよりも、自我自らに裁かれることがより怖しく、絶対のものであるから、文学者私人に謝罪を要求するなどとは筋違いで、そういう時には告訴すべきものである。今後もあることだから、この一事は明確にする必要があると私は思う。
こりることの必要について
福井の地震で、大被害を蒙った。地域は異っても、地震の被害は殆ど年々のことである。これを天災と称したのは昔はそれで当然であるが、その対策の分明している文化国で、これを天災とするのは分らない。
黄河という河は、堤を築くだけでは必ず洪水の起る河である。流れが黄土を運んで年々一メートルぐら
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