不断に耳をすましているものは、内奥からの人間の声のみであり、この裁きは、私にとっては絶対である。
 文学は色々に読まれる。批評家は千差万別の批評を加え、読者は各人各様の読み方をする。その結果が、作家の思いよらざる社会的影響をひき起した場合にも、作家は尚、社会的責任を負うべきもの、と私は信ずる。社会的責任とはかくの如きものであり、いかなる無邪気な過失といえども、その結果によって裁かれる性質のものである。
 明大応援団の場合は、単に抗議というだけで、私に謝罪を要求しているようなものではない。私は言うべきことを書きつくしているのだから、明大応援団がそれをどう読みとったにしても、補足して言うべきことはない。ただ、明大応援団長の文章は、あれではいけない。私の文学の批判などせずに、明大応援団と、明大自治運動との在り方を具体的に詳説して、それが私設憲兵化をまねく性質のものでないことを具体的に証明して、真理の名に於て私の蒙を啓《ひら》けばよかったのである。論争とか抗議というものは、そういう性質でなければならない。
 久板君の場合は、慶応大学生が謝罪を要求したという。これは筋が違っている。むしろ告訴すべ
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