よろん》の多くが、そうだ、そうだ、遠慮なく昔にかえれと言いかねない有様だから、ものすごい。
 帝銀事件の犯人が早くつかまるということよりも、人権を尊重するということの方が、どれだけ大切なことか分らない。この二者は比較を絶しているものなのである。帝銀事件の犯人のタイホがおくれてもよいから、人権を尊重するという国風は断じてこれを守り、確立しなければならない。
 かりそめにも警察当局たるものが、人権尊重のためにタイホがおくれるなどと口実をつくるのは奇怪であり、かゝる暴論に対して非難の輿論が起らぬという日本の現実は悲しむべき貧しさである。
 密告歓迎などというのも、またひどい。脱税の密告、イントク物資の密告、政府は密告の国風を熱情こめて作りつゝあるもののようだが、脱税やイントク物資よりも密告の国風の方が、どれだけ祖国を害《そこな》い、祖国の卑劣化をもたらすか分らない。
 密告歓迎だの似顔絵の高札などは江戸時代の岡ッ引の智慧でやったことで、近代に於ては警察の基礎も文化の在り方の一つでなければならぬもの。一人の犯人をつかまえるよりも、人民保護という原則の確立の方が大切であろう。
 昨年のことだが、
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